どこに畏れを見るか

会堂守の、建物にいなければならないもののとにかく暇で、神学書その他を読みあさった日々は、まだほんの2週間ほど前のことだったのだけれども、なんだかそれは遠い昔のようだ。 前任地(会堂守は飛ばして、主任牧師としての)では、飛ばし過ぎた。「おれが…

そういうのもまた人間

3月31日 さあ、いよいよ新任地でのイースター礼拝だな。先週棕櫚の主日説教を東京の教会でやったはずなのだが、東京の日々が、もう遠い昔のように思われる。一緒に働いた先生から今朝励ましのメールを頂いて、あらためて「あれ?先週?」と思ってみたり。 4…

必死で週報フォーマット作ったり、書類の確認や幼稚園の会議に追われたりで、今頃になって今日が受難日だと気づくというorz やっぱり学校法人の幼稚園は半端じゃない。前任地で園長やってた、って言っても宗教法人の小さな園。事務的な複雑さがまったく違う…

地デジ、映るの4チャンネルか。テレビの故障かと、真剣に何度も確かめてもたわ・・・ キリスト教保育連盟の関係集会への出席が初仕事。子どもへの保育者の接し方の、理論から実践に至るまでの講演を聴いたが、これってまんま他者論であり、牧会論じゃないか…

別れ、出会い

上司夫妻と教会員2名と、手を帽子を千切れんばかりに振りあいつつ、桜が舞うなか、お世話になった教会および町を去る。ソメイヨシノ発祥の地で、去年だけでなくもう一度桜を見て、しかも桜に見送られ旅立つことができるなんて。神さまの、粋なおはからい。 …

小雨ぱらつくなか、スタッフの一人が折畳み傘をさしかけていた。ベテランの「何やってんだお前!」。頑張れ、新米引っ越し屋さん。 右も左も分からず、毎日叱られながら仕事を覚えた郵便配達。ひたすら生活のために。生き延びるために。無任所教師の体験、忘…

分からない表情を

ぬいぐるみはおもしろい。craftholicの大きなぬいぐるみ二体を箱詰めするにあたり、連れ合いが「さみしそう」と言う。なるほど、箱に詰められるのを嫌がって仕方がないように見えてくる。 いよいよ明日は荷物運びだし。頭は次の任地のことでいっぱい。 今日…

より直接に

昨日も夜寝る前に、アレクサンドル・シュメーマン『世のいのちのために 正教会のサクラメントと信仰』を少しだけ読んだ。シュメーマンは殊更に何か新しいことは言っていない。正教が守ってきたことを、そのまま語るだけ。それが新しいと感じるのは、やはり正…

礼拝において、時が変容する

おとといより、アレクサンドル・シュメーマン著、松島雄一訳『世のいのちのために 正教会のサクラメントと信仰』(新教出版社)を読み始める。「第2章 聖体礼儀」まで読む。礼拝が地上にいるままに天への上昇であること、機密(サクラメント)はイエスが感謝…

同僚の先生たちに、お別れ会をしていただいた。今日は連れ合いも同席できて、よかった。先生方はいつもわたしを立ててくれた。だから、身に余る贅沢な気持ちで仕事に打ち込めた。ただただ感謝しかない。この人たちと別れるのは名残惜しいが、次の地でまた新…

3月22日 - 1:20 あと6日後には九州で仕事してるなんて信じられん

埋まらないが埋まる

W.パネンベルク著、西谷幸介訳『現代キリスト教の霊性』(教文館)を読んでいる。冒頭の、近現代の敬虔主義における強迫的な(個人的・心理的)罪意識と一般社会常識との乖離への指摘は、あらためて論理的に指摘されてみると、学ぶものが多い。律法で罪を責…

ストラヴィンスキーのウィキペディアを読んでいて、彼は自作を大量にレコーディングしていたと知る。しかしウィキペディアの解説によれば“指揮の精度やオーケストラの技術については専門の指揮者による録音に一歩譲るものの”とある。ということは、作者スト…

暗闇をしずかにみつめる

アーウィン・ブルーメンフェルドって写真家、こないだ日曜美術館のアートシーンで知ったけど、いいなあ。残念ながらもう観に行けないけれど。 ラーゲルクヴィスト著、尾崎義訳『バラバ』(岩波文庫)読了。最後までキリストを信じられず、最後に今度こそキリ…

出遭うことで、なにかが

信徒でない方からの「助けてほしい」との声。たしかに、教会側にもいろいろ事情はあるだろうし、声の「内容」そのものに応えられるとは限らない。けれどもこういう時勢だからこそ、声の主(ぬし)に顔を向けることがせめてできるような、宗教者でありたい。 …

くびきはぐいぐいひっぱってもらい

東京暮らしも、あと一週間。来週の日曜日は、御奉仕の締めくくりに礼拝の担当だ。受難節ここにきわまれりの日曜日でもあろうが、できればおおらかに語ることが許されれば。祈って備えよう。教会の人たちへの感謝を込めつつ。

それは記憶の遺産である。

水曜日にS先生の教会に行った際、夏の訪問時にもお話しする機会があった、80前後の男性と再び談笑した。彼の少年時代過ごした町が、わたしの故郷にきわめて近いということもあって。彼の過ごした小学校を、わたしは知っていたから。 小学生だった彼が校庭で…

欲望が単純を複雑にする

ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(行方昭夫訳)読了。BBC版シャーロック・ホームズ的映像を脳内再生しつつ読み進めた。幽霊の話というよりは、20歳の女性家庭教師の、教え子たちに対する、自分が優越したい、だが現実には劣っているのではないか?みたい…

服装

スプリングコートの着こなしが下手で、結局暑く感じてしまい、多少の厚着プラスふつうのジャケット、みたいな服装しかできない。 ところで、ラウンドカラーシャツがよれよれになったのだが、もう無理して買わなくてもいいかなと思い始めている。カトリックや…

つねに学びの途上

聖公会の司祭からアレクサンドル・シュメーマン『世のいのちのために 正教会のサクラメントと信仰』とヴォルフハルト・パネンベルク『現代キリスト教の霊性』を教わり、さっそく古本屋のネットで購入。引っ越しのバタバタのさなかではあるが、ちょびっとでも…

こちらでは最後の散髪に行った。いつも担当してくれるお姉さんに引っ越す旨伝えると、彼女も、今春からこの店を出て新しい店を出すのですと、嬉しそうに語ってくれた。昨年結婚した相手も理容師で、ふたりで店を開くのだという。なるほど、たしかに出発の春…

隠し味

九州へ引っ越す前に挨拶しようと、東京に来てからとくに交流を増したS先生の教会へ。聖書研究祈祷会だったのだが、生憎先生は所用で不在。しかし信徒の方々はふだんどおり(前回訪問時とほぼ同人数)集まり、信徒の一人が聖書から発題し、終始和やかかつ知的…

「刺し違える覚悟」と言った先生もいた。

エキュメニカルというのは、きっと一致を目指すのではなくて、あくまでお互いの差異を尊重しつつ、一致ではなくゆたかな交流ないし学び合いを模索することなのだろうなあと思ってみたり。一致という言葉は、人間の現実には美し過ぎて遠過ぎる。 レヴィナスの…

気付かれぬ苦しみに気付きたい

ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』(行方昭夫訳)を読む。彼女の無垢な奔放さが彼女を封建的な社交界で孤立させ死に至らしめる、性的ではないとはいえファム・ファタル的な要素も含んだ作品だ。とはいえ、むしろデイジー・ミラーは何らかの発達障害…

少女は表情を捨てる

“この世にいる限り、「赤ずきん」は狼たちに脅かされ続けることになる。窮地からいつも自力で脱出できるとは限らないし、助けてくれた狩人が次の瞬間に新たな狼にならないという保証もない。(略)『Dressed / Naked』における少女の無意識は、そのような抑…

青春語

小田垣雅也『それは極めて良かった』(LITHON)読了。彼は二重性とか途上とか中途半端といった語彙を「青春語」と呼んでいる。老境を迎え、これらの言葉が、決して到達し得ぬものを求めた青春時代に通じると、あらためて分かったと。わたしは「青春語」を瞬時…

宗教とディズニーランド

あらためて岡田斗司夫氏の、「なぜ宗教が必要なのか?ディズニーランドで十分じゃないか」という言説を思い出していた。 今はどうか知らないけど、英国などで「ジェダイ教」という宗教の教会が出来たとニュースになったことがあった。スターウォーズの徹底し…

奇跡は、起こり得ないから奇跡と呼ばれる

小学生の頃に親から貰った方位磁石が出てきた。懐かしく蓋を開き針を解放にすると、いつまでも針が落ち着かず、しまいには全く出鱈目な方向へ。心の地誌学。 神的な「しるし」なり奇跡なりは、驚きと「そんなことあるか」という否定とのすれすれのところで、…

流されず残るもの

小田垣雅也『それは極めて良かった』(LITHON)を読んでいる。やはりしっくりとくる。わたしに馴染む言葉たちが、ごくごく控えめに、語りかけてくる。二重性、中途半端、途上、などの語彙たち。 結論を出さない(出せない)居心地の悪さを、ゆたかさとして受…

補足

さきほど岡田斗司夫のディズニーランド説から、ファンであることと信仰することとの違いについて考えていたが、カトリックの方の意見から学ぶことがあった。教父たちによって整えられていったであろう教理や礼拝形態。そこでは必ず何らかのかたちでの永遠の…