諸断片、連続

めっちゃ久しぶりに…一睡もできん。今薬飲んだら朝起きれないからなあ。諦めてぼんやり横たわっていよう。
赤木善光著、『イエスと洗礼・聖餐の起源』、教文館、2012を読み始めた。「第一章 現代日本人のイエス像」をまずは読んだ。最初に赤岩栄を想起しつつ、荒井献、八木誠一、田川健三、松永希久夫、小河陽をそれぞれにその特徴と問題を追う。そこで赤木の基本的な態度が見える。彼は自らを素朴な日本の教会のクリスチャンと認識し、告白している。自分で教会に通うようになり、洗礼を受けた者として。そのうえで、荒井らの膨大な著作にきちんと目をとおしその特徴をとらえるだけでなく、「では彼らはどんなふうに信仰生活に入ったのか?」という、彼らの信仰の私生活に迫る。神学はその人の人生と切り離して考えることが難しい、ないし不可能というのが著者の立場であろう。しかし、ここからがわたしにとって大切な部分だった。つまり、赤木は、荒井らのことを「君」と呼び、親しみを込めている。彼らの思想を「ばっさりと」やっつけるのではなく、彼らの苦闘する歩みに共感しつつ、なぜ自分とは異なる結論に至るのかを考え抜く。赤木は客観性を標榜しもしないし、荒井らを論敵として冷笑もしない。
これだ。この論じ方。道後で実際に赤木先生に会った時もそうだった。わたしの立場を聞いて、最初多くの同席者が笑った(嗤った?)が、赤木先生は真面目に聴いてくれた。そして「おもしろい」と言ってくれた。そういう姿勢が、本書冒頭からすでに滲み出ている。様々な神学的立場の人間が、このような姿勢で語り合えたら。神学は学問であるが、信仰ともからまりあう以上、己の生がそこで露わになる場でもある。そうである以上、理詰めの、それも傍観的、冷笑的な理詰めの論理だけでは不毛な結果しか生まれないだろう。
「第二章 現代の聖書学における聖餐の研究」の、「第一節 マルクセン」まで読んだ。以下、シュトゥールマッハーやタイセンまで、ずばりかつて道後のユースホステルで二日間にわたり聴いた講義だ。雨のぱらつく道後で、夜は同僚たちと近所の居酒屋に繰り出したりしたのを懐かしく思い出していた。
マルクセンの、一コリント10:16から推測された式文「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることである。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることである。」が最も古いものに属するという説。そのヘブライ的な、本来食事の最初と最後にあった二つの言葉が、それだけ抽出されてパン、杯の対になったこと。さらにはコリント的なヘレニズムの風土の中で、それがパンそのもの、杯そのものがキリストであることへと変容したこと。だから本来はヘブライ的な共同の食事に与ること(愛餐)がイエスの出来事に参加することであり、決断である、と。
赤木の反論は、マルクセンにはヘブライズムからヘレニズムへの「堕落」という前理解があること、ヘブライズムとヘレニズムとを単純に二分化し過ぎていること等である。赤木は荒井らへの反論にもあったように、伝承を種類で分断するのでなく、可能な限り統一的に読む可能性を探っている。ふと、シュロモー・サンドの『ユダヤ人の起源』を思い出した。サンドは考古学者だが、彼の主張を読む限り、ヘブライズムとヘレニズムとは文化的に分け難く混ざり合っている。聖書テクストがさまざまな層に分けられるとしても、それに優劣(古い層ほど重要とすること)をつけるのは、やはり無理がある。
だがここでも、赤木は、マルクセンの思想がなければ自分の思想もないと言わんばかりに丁寧に、ときにはある一節を長々とそのまま訳出して引用し、検証している。自分と異なる見解があるからこそ、自分の見解もさらに進むこと。赤木の長すぎるほどの引用は、自己主張、他者排除のツールに終わらない。
連れ合いが入院していた頃、辞任の決意をした頃から2年経つわけだが、10年以上経ったような長さ。自分は牧師になどなったことは実はなくて、神学部を卒業して以来ずっと無職かフリーターだったのではないかと、モップかけをしながら思った。