隠せば済むことだって、あっていい

刺青に血相を変える理由は何だろう。歴史上「罪人」に強制的に施されたということか。渡世人のイメージか。化粧は洗い落とすことができるが、刺青は落ちないからか。「公務員として派手な化粧は好ましくない」というような文脈であるなら、刺青も仕事中だけ長袖や絆創膏で隠すというのでは駄目なのか。
「隠せばいいというものではない」という意見もある。たとえば反社会的な動機で「かつて」刺青をして、今は真面目に働いている人間が、その過去を公衆に向かってすべて曝し、「だから自分は社会復帰の余地はありません」と追放されねばならないのか。
隠せばいいというものではない、と高らかに語る人、「社会通念」を振りかざす人は、「社会通念」に照らして、過去にも、これからも、一切悪いことはしていないし、するつもりもない、街中で真っ裸になってそれを自分の皮膚で証明できる、ということだろうか。
服装のコードを云々するのと、刺青とは、存在論的に非常に重なり合う部分も多いが、微妙なズレもある。刺青は皮膚に直接行う、呪術的なものも含まれた行為である。公務員云々を言うなら、ドレスコードのみを規制してほしい。皮膚、身体の規制は、是非以前に、恐怖に属することである。