2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

せめてもの親孝行に、冷蔵庫にありあわせのもので料理を作った。両親は「美味しい、美味しいよ」「同じ食材を使ってるのに、またぜんぜん味が違っておもしろいね」等と喜んで呉れた。満たされたなか、勇んで食器を洗った。

ナルシシズム、当事者

午前中に新幹線で帰省し、ジャズ喫茶でうとうと。古びた実家にはいつしかわたしの知らない洗濯機や電子レンジや冷蔵庫に加え、パソコンやLED電灯。茶色く染みた壁や天井に、白い無機質なモノたちが。 メリケンパークを散歩。東京に行ってから、海をまったく…

自己卑下と自己憐憫にまみれても

朝から体調もすぐれず、沈んだ気持ちで派遣先の教会へ。説教など到底無理と。けれども、前任地でも挫折のたびにいつもそうであったが、不思議と「礼拝は成立する」。礼拝が終わってみれば、教会の人々も、わたしも笑顔。今日も神さまと、神さまが出会わせて…

「ようせいさん」がかたるよ

8日、輸入品のGLENN GOULD, BACH : THE GOLDBERG VARIATIONS が注文して二週間ほどで届いた。さっそく開封して聴く。クラシックといえばジャズに聴こえ、しかしジャズとも違う。映画のサウンドトラックのような。 9日夜、使徒言行録16:9“その夜、パウロは幻…

あらためてインターネットの力を思い知らされる。

ヤフー知恵袋すごすぎる! ごく断片的な記憶で問いかけたところ、心ある方が「まんがこども文庫」の「雪のはとば」という作品だと即答して下さった。 子どもの頃記憶に焼きつき、ことあるごとに思い出し、先日も寺山修司の歌集を読むにつけ繰り返し脳内再生…

ルター先生

上野の美術館で、クラナッハの描いたルターを見て来た。ルターにどうしても会いたかった。会って、彼にいろいろ尋ねたかったのだ。 両端を漆黒に塗られた落ち着きある青緑色を背に、ルターがいた。思ったより小さかった。クラナッハはルターの結婚式で媒酌人…

ウィンプスター

高山宏「身内と胎内 『失われた庭』の僕」(『ユリイカ』所収)を読む。団塊の世代らしい、とにかく年上に斬りかかるような文章で、ときどきイラっとくる。とはいえ勉強になる部分もあった。ルイス・キャロルやジョン・ラスキン、さらにロセッティなどラファ…

多弁にはそれなりの

8年前に買って前半少しを読み、ずっと中断していたアウグスティヌス著、泉治典訳、『三位一体』を、ようやく読了。もっと早く読んでおけばよかったと思うと同時に、当時はまったく関心がなかったのだから仕方ないとも思う。 アレイオス的なキリストの被造説…

与えられた/贈られた

自らの「自虐史観」なるものについて考える。そう、日本の歴史のネガティヴな部分について一言でも語るならそれを「自虐」と言う人もいる。しかしそもそも、自虐かそうでないかと分類できる「自由」の時代であるということには、せめて感謝をしたいではない…

少女になる人と、少女である人と

森茉莉『甘い蜜の部屋』第一部を読了。矢川澄子の『受胎告知』を読んだ後なだけに、やはり小説というものにおける二人の力量の差を感じずにはいられない。力量といって差し支えがあるなら、余裕の差だろうか。森にはモイラを見守る林作の余裕にも似た、自身…

ダイアローグを渇望するモノローグ

矢川澄子、『受胎告知』、新潮社、2002を読む。晩年の作品および遺稿。“森鷗外の娘の茉莉は、お嫁に行く直前まで平気で父の膝にのっかっていたという。”にはじまり、“この環境では総じて〈甘え〉ることは、最も忌み斥けられる悪徳のひとつだった。”や“武家の…

それぞれの媒体が伝えられること、できないこと

臭い、匂いで思い出したが、海野十三の『赤道南下』は従軍記として、艦内の匂いがいきいきと伝わってくる(もちろん戦争中の文学なので、戦意高揚的表現に満ちてはいるが)。野坂昭如『マッチ売りの少女』は、完全なファンタジーでありながら、強烈な戦後の…

臭いと距離

録画していた『太平洋の奇跡─フォックスと呼ばれた男』を観た。現代人だから限界があるとはいえ、栄養状態の悪い日本人の様子を、再現できる限りでよく描いていたと思う。ただし不衛生については、映像が美しいものである以上、やはり無理だった。『硫黄島か…

二分法が破綻するとき

2002年の『ユリイカ』に再録の「没後10年・素顔の澁澤龍彦 架空の庭のおにいちゃん」を読む。矢川澄子・池田香代子・山下悦子の座談会。フェミニズム的な切り口で挑む山下の問いに、池田がクッションとなり、矢川が軽やかに応えるというような感じか。 1997…

住んでいるところの比較的近くに、渋沢史料館というのがある。渋沢栄一という人物のゆかりらしい。珍しい名字なのでひょっとしたらと思っていたら、澁澤龍彦の遠い親戚にあたる人だったらしい。幼少時の澁澤は、このあたりで遊んだことがあるという。ちょっ…

アダムにおいて

アウグスティヌス『三位一体』についての、訳者・泉治典の註が勉強になる。ローマ5:12 "in quo omnes peccaverunt.”の一文。これは“こうして、すべての人が罪を犯したので”(新共同訳)のように、ラテン語のin quoも「その際(こうして)」くらいの意味でも…

偉大な質問

“地球儀を見ながら私は「偉大な思想などにはならなくともいいから、偉大な質問になりたい」と思っていたのである。 これは言わば私の質問の書である。”寺山修司「田園に死す 跋」 “ただ冗慢に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に…

「素顔」

“聞いてください、チーホン神父、ぼくはですよ、自分で自分を許したいんです。これが最大の目的、目的のすべてです!” ドストエフスキー『悪霊』第2部第9章初校版(亀山郁夫訳) 取れない仮面をもぎとろうとのたうちまわる、やっと仮面が取れたと思ったら、…

磨き上げられた表面

闘病記に深く惹かれる。一方で、亡くなった人の、しかし死が「表向き」まったく立ち現われてこない遺稿にも、強く惹かれる。宮川淳が40代で癌で死去したことを知らなかったら、その闘病生活のなかでもあの凍ったようなテクストを紡いでいたと知らなかったら…

イデーの父

“仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。”“生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事に…

美醜を超えて問いかけてくる

種村季弘による「インタヴュー 昭和のアリス」を読む。矢川澄子への評価は、その少女性をとことん肯定する人と、その少女性へと「引き裂かれた」大人の彼女の苦しみに思いを馳せる人と、分かれるようだ。種村も、どちらかといえば後者に属する。 わたしは矢…

フィールドからの抽象

そういえば今住んでいるあたりの蝉の声は、やけに小さいな。けっこう大きな樹も繁っているんだけれど。 アウグスティヌス『三位一体』(泉治典訳)の第一一巻まで読んだ。物体と、物体を見て感覚された視像と、物体を見ようとする志向と。志向ないし意志が、…