2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

11時間

今日も長いぞ・・・・・ 母が手術室に入るとき、父とふたり、ぼーっと突っ立って見送ってしまった。握手のひとつでもすりゃよかったな。 長い一日。早く終われ。 もうすぐ6時か。あと何時間やろ。 夕食にビッグマックセットを買って控室へ。袋を開けると、ビ…

母の入院手続き、どうにか無事に終わる・・・あ、入院して大手術もするんだから、無事とは言わないな。 右半身麻痺の父を助けるべく、食事を作ったり洗濯をしたり。体調の悪いときの連れ合いを助けるスキルが、こんな場面で役に立とうとは。あまりうれしくは…

きのう新幹線のなかで考えたこと

悔しい。自分が無任所教師であることが、打ち震えるほど恥ずかしい。恥ずかしいと思ってしまう自分を、殺してやりたい。 お前らおぼえてろよと、マンガでもいまどき言わないようなせりふでうそぶき煮え繰り返り、ああそうか、だからイエスさまもあんなに苦労…

大胆な翻案でやってくれ

『素晴らしき哉、人生!』のジョージばりに「生まれてこなければよかった」と言ってみるテスト。もちろん2級天使は現れない静寂。 『カラマーゾフの兄弟』がテレビドラマ化されるという。楽しみだ。前任地を様々な事情でやめなければならなくなった頃、まず…

神の祝福の外に置かれる人

クリスチャンが、クリスチャンを、平気で切り捨てる。そして「これは御心ではなかった」と、実にあっさりと済ませる。そう、「神の」御心でなかった。人間であるわたしにはなにもできなかった。だから反省する必要も、良心を痛める必要もない。忘れよう。委…

ぽっと出

ずっとずっと昔に言われた一言が、こういうときにうずいてくる。結局は自分の劣等感に過ぎないのだが。 「あなたのような初代クリスチャンは熱心に信じて求めても、躓いたらすぐに教会を去ってしまう。でもわたしたちのような生まれたときからのクリスチャン…

そこにキリストがおられるからだ

自分が身を置いている教会では、ほんとうにお世話になりっぱなしで、どの方角にも足を向けて眠れないほどだ。だからほんとうは愚痴なんてこぼすべきじゃない。ただ、他の教会での、とある関わりで、けっこう悔しいと思うようなことがあった。やけくそに「教…

個性の神話の下で生き抜く

http://www.higan.net/navi/2012/11/post-1090.html 自力他力の単純な二項対立ではない。パウロなのかヤコブ(の手紙)なのかの単純な二項対立ではないのと通じるものがある。 日本民藝館監修、『柳宗悦コレクション 1 ひと』、筑摩書房、2010を読了。柳の…

置かれた場所で

地方の小さな教会で経験を積んだ自分が、突然東京の教会に会堂守として赴任して、何を勉強させてもらったか。いちばんのそれは、「電話応対」。前任地でももちろん電話はよくかかってきたが、たいていは信徒の方の諸用、ないし幼稚園関係だった。要するに良…

もしもわたしがいなかったら

昨日の地震は震度4だったらしい。久しぶりに恐ろしかった。料理で火を使っているときに連れ合いが「わぁ!」と叫び、すぐS波が。沸騰したスープが波打つのはほんと心臓に悪い。恐ろしい思いは、17年前のあれ一回で、もう十分なんだが。 教会の映画鑑賞会が、…

追記

この『素晴らしき哉、人生!』という映画、勧善懲悪でないところがいい。悪人ポッターが自業自得で自滅するかどうかとか、そんなのは物語の主眼の外にある。悪人がどんな悲惨な結末を迎えるのかではなく、人生の意味を問うほどに追い詰められた主人公が、問…

そこに人間がいる

録画しておいた日曜美術館の『GAMANの芸術 戦時下に刻まれた不屈の魂』を観た。戦時中、砂漠の強制収容所に送られた日系人たちが、追い詰められた状況下、ごく限られた素材で、きわめて優れた工芸品を遺した、その作品展の紹介。 柳宗悦はこうした作品…

味を伝えるのは神

キリスト教を、信じていない人に弁証する際、「信じてみないと分かりません」じゃ話にならない。教義や教理の歴史、典礼のありよう、社会とキリスト教の関係…いくらでも他宗教、無宗教の人と共有できる豊かさがある。 しかしまた一方で、それら難しいことは…

死を観る

吉村昭「少女架刑」(北村薫・宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』所収)を読んだ。死の恐怖を具体的に語る際に「火葬されている自分を想像したりして怖い」というように話す人が時折いるが、まさにそのような「死後の、死体となった自分」を客観的に語る小…

ホモロゴス

ニコ生神学部おもしろかったなあ。キリスト教ネットメディア研究会 – 絶版キリスト教書 電子化事業 仏教の専門用語もあるし、キリスト教でもわたしの知らない専門的な議論もある。だからもちろん全部は分からなかった。でも面白かった。小田垣雅也が仏教との…

遠く近くに

教団の機関紙で読んだ、「伝道に熱くなる教団から伝道に燃える教団へ」というキャッチコピー。少年漫画のノリだなあ。神の御前に子どもらしい素直さで伝道に臨む、みたいなイメージなんだろうか。でもどうも、「燃える」というと一時的な熱さのイメージが。…

精緻とグルーヴ

休暇日なので、なんとなくぶらつくうちに、弥生美術館へ。田村セツコのコラージュ作品に惚れ込む。ここに少女が空間化されている。昭和の夢二もよいな。華宵の原画は宇和島でも松山でも見ることが出来なかっただけに、感慨もひとしおであった。喫茶店『港や…

ホンバでない理解

わたしは海外に出たことがないので、「やっぱり留学しないと神学にせよ西欧文化は分からないよ」と言われると辛い。「やっぱりキリスト教は信じないと分からないよ」と言われるときの上から見下ろされる感じも、似たようなものなのだろうか。とはいうものの…

むかしもいまも

“十字架につけられたのは、三位一体のうちの一つでなければならなかった。もしこの告白が、「神性受苦論者」という嘲りの称号をもたらしたら、「彼らは栄光の主を十字架につけた」という使徒の言葉に慰めを得ることができた。受肉したロゴスは「その神的な本…

テレビあれこれ

ウルトラマン『怪彗星ツイフォン』を観る。当時のプロレスブームなどが窺える。また、銀座の街並みが一瞬映るのもよい。最後に宇宙から見た地球が写るが、おとぎ話的な星空に浮かぶ灰色の地球儀のよう。たった数十年で、いかに宇宙の映像と、それにともなう…

補足

ちなみに、70歳を過ぎた方が洗礼を受けたことがあった。戦前に幼稚園に通っていたのを思い出して、教会に来たのだと。当時の牧師も、当時の幼稚園の先生たちも、みんな今は天国。彼女が洗礼を受けたことを、生きて目撃はできなかった。だが、わたしは嬉しか…

教育施設は伝道精神はあったとしても宗教勧誘施設ではない

今号の『ミニストリー』の特集「センセイたちのリアル」を読んだ。キリスト教主義学校の、宗教主事の先生がたの葛藤が、いきいきと語られている。 わたし自身が前任地で覚えていた葛藤と重なる。記事を読んで、「あれでよかったんだな」と、胸を撫で下ろす思…

ここ数日の雑想

『Q』も、なんとか都合つけて見に行きたい。映画館って、なんであんなにわくわくすんのかな。暗い部屋で、みんなで同じ方向向いて、ひとつのドラマを共有するのって、なんか宗教儀礼に似てる気がする。ライブしかり、クラブでDJブースを向いてみんなが躍る…

超越している、ってなんだろう

ペリカンの『キリスト教の伝統』をとおして教理の歴史を勉強していると、自分がいかに他教派に対して誤解を持っているか、あらためて知らされる。マリアを崇敬することについて、長いあいだ、てっきり土着のフレイヤとかアフロディテなどの女神信仰がマリア…

森光子さん亡くなられたんだな。『時間ですよ』は再放送世代だけれど、小学生のときに夢中で見たなあ。合掌。 ひとつ気がかりなことがあるのだが、無理に「恐るな!神に委ねよ!」とは念じず、この際とことん恐れまくってみることにする。そのほうが、たぶん…

録画しておいたフジテレビのTHE ROCK STORIES part1を観た。とても見やすく編集されていた。エピソードとしては、ムッシュかまやつが香港で欧米並みの機材を入手したものの日本とインピーダンスの規格が合わず、堺正章らと徹夜ではんだごてで改造したという…

懐へ飛び込んでみる

J・ペリカン著、鈴木浩訳『キリスト教の伝統 教理発展の歴史 2 東方キリスト教世界の精神』教文館、2006を読み始めた。1の後半でアウグスティヌスが扱われていた際に、おもに彼によって定式化された「原罪」の教理が言及されていた。しかし一方2において…

皮を剥いてゆく

「我々はプロテスタントだ。だからあらゆることにプロテストしなければならない」と言ってた牧師さんもいたけれど、プロテスタントだって正統主義の時代もあったわけで、というか正統主義になるべくしてなっていったわけで、こうした発想に、なにか違和感を…

まだまだ知らないことだらけ

http://kliment.cocolog-nifty.com/blog/ 正教の日本人の司祭が書いているブログである。正教の用語の正しい、そして現実に即した使い方などを窺い知ることができる。わたしは正教、あるいは東方のキリスト教の歴史については不勉強であり、メイエンドルフ著…

スピードの代償

ツイッター上で、島田裕巳という宗教学者が、キリスト教について曖昧あるいは誤った知識を語ったために、キリスト者たちから批判を受けている。島田裕巳って聞いたことあるなと思っていたら、『私の宗教入門』(ちくま文庫)を書いた人だった。今回のツイッ…