2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

筋を通すか、越境するか

ボンヘッファーの『現代キリスト教倫理』を読んでいると、彼が戦後も生きていたら、ヴィトゲンシュタインらの論理学をどんなふうに捉えたろうかと興味が尽きない。原則を、キリストというより大きなルールのために破る。ルールは新たなルールによって適宜破…

いにしえのツイート

前任地の、ほんのすぐ近くの教会の牧師が、今日去る。懐かしいお店から、懐かしい知人と共に電話してきた。自分が去ったときのことなど、これまた懐かしく思い起こしていた。次の土地では、どんなドラマがあるのだろう。まったく未来が分からないのがこの仕…

小さな言葉の力

『ダブル・ファンタジー』や『ミルク・アンド・ハニー』のオノ・ヨーコの曲を聴いていると、なんだか戸川純が聴きたくなる。洗練されて毒のあるニューウェーヴが聴きたくなる。 これら二枚のアルバムは万葉集における相聞歌の現代版(盤)なのかもしれない。…

神義論、孤独と交わり

旧約聖書続編、やっと読み終える。『エズラ記(ラテン語)』のエズラのくよくよする問いが、今読むと素朴でもあり共感も呼ぶ。なぜ信仰深い(正しい)人が傷つき死ぬのか、なぜ悪人が栄えるのか。救いはいつ来るのか。裁くというけれど、そもそも悪人だ善人…

他人の苦しみ

あまりに気心の知れた友人というのは、いざ近くに住んでいたりすると、意外と会わない。そんな友人と、おとといかなり久しぶりになんばで落ち合い、日本橋界隈を歩き回る。東の秋葉原、西の日本橋といったところか。彼との付き合いも、今年で四半世紀を迎え…

今日は御所付近の教会でお仕事。ローカル電車の車窓を眺めては、万葉集を開いたり。ここに、古代も今も様々な人々の思いが行き交っているのだ、と。 今さらにジョン・レノンボックス。びっくりするほどアナログレコードっぽいリマスターでびっくり。これでプ…

蘇った痕

14日 石原慎太郎氏が、今回の震災を「天罰」と表現したという。それが政治への批判と言うコンテクストであったとしても、到底受け入れられない。人間が「これは天罰である」と規定した時点で、それは人間が主語であり、人間による暴力であっても、天からのも…

雰囲気

おととい、ショスタコーヴィチ「交響曲第七番」を聴く。ソ連製の輸出版。英語の解説には、1941年にソ連とドイツが開戦した際、彼が国家に捧げた作品とある。映画のサントラは虚構を盛り上げるが、献呈された曲は戦争という現実を、そのナショナリズムを盛り…

試練は贈り物、だと信じたい

昨日、前任地の近隣教会の信徒より太刀魚巻とお酒と心付を贈られる。その方のご家族が先日亡くなられた折弔電を打ったのがきっかけで、旧交をあたためている。添えられていたお手紙の「試練は贈り物です」という言葉が、深く深く染みわたる。ラングレーを聴…

我を忘れて

ボンヘッファー著、森平太訳、『キリストに従う』、新教出版社、2007を「隠れている義」まで読む。テクストはテクストであり、著者と分けて受け止めるべきものである・・・・とは思いつつも、彼の獄中書簡を思い出すにつけ、彼はここに書いてあることをほん…

奇跡と日常

奇跡≠レアグッズの喜び。イエスとの出会いで「生き方を変えられた」と興奮して大喜びしても、落ち着き、冷める。それは奇跡ではない。奇跡は瞬間/点ではなく持続/線への契機である。契機として有効であるなら、それがわたしにとってネガティヴなものにしか…

再話

井筒俊彦訳『コーラン』を「ユースフ」まで読む。ムハンマドは、旧約の物語を口伝で聞いていたのだろうか。ユースフすなわちヨセフの物語を読んでいると、教会学校で先生からむかし聞いた話を思い出して語る子どものような趣がある。 創世記に登場するヨセフ…

まねぶ/学ぶ

日曜美術館で見たゴッホが忘れられず。彼の書簡集を読めば分かる事だが、ミレーを徹底的に模写し、スーラを模倣し、色彩や技法を何度も試す、その学び/まねびからオリジナリティを獲得する努力には深い感動を禁じ得ない。 ゴッホは牧師としては挫折したのか…