2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧
多田智満子による矢川澄子の回想を読んでいた。あらゆる意味でルサンチマンから自由であったらしい多田には、ルサンチマンや上昇志向との闘いのなかで疲弊しきったであろう矢川の疲労感や孤独感は理解できなかったということが伝わってくる。多田も癌による…
J・ペリカンの『キリスト教の伝統 第1巻』を読了。最後あたりの、ローマ教皇の出現の由来、またグレゴリウスによる煉獄の教理およびミサの犠牲の教理の定式化への言及が、興味を惹いた。煉獄との関連で、罪を犯して死んだ死者への赦免のために、ミサの犠牲を…
わたし自身、かつて高校生の頃、洗礼準備会のときに「すべての人が救われますように」と祈ったのに対して、牧師が穏やかに、しかしきっぱりと「それは違うんだよ。誰が救われ、誰が滅びるかは、神さまがすべてお決めになっている。」と応えたのには、少年な…
ペリカンの、アウグスティヌスと後継者たちによるドナトゥス主義論争およびペラギウス主義論争のところを読んだ。相変わらず非常に難しい。最初は素朴な疑問みたいなことから始まるのだが、どんどん議論が複雑になって、やがてついてゆけなくなるという、い…
ときどき、考える。タイムマシンで昔の人を連れてきても、言葉が通じないだけでなく、内的体験が違い過ぎて、コミュニケーションが成り立たないだろうなと。「パウロ本人に聞いてみたい」と聖書に問いを感じても、パウロとわたしとでは、ギリシャ語と日本語…
録画しておいた『平清盛』を観た。見事につくられた三十三巻の経を厳島神社に納める物語。その航路で、崇徳上皇の怨念が船を襲う。船には西行も乗り合わせている。彼は読経で対抗し、清盛ら一党は気迫(?)で乗り切り、彼らはどうにか経を納めることに成功…
小林靖子の脚本によるゴーバスターズMission23「意志を継ぐ者」を見て、ふと若桑みどりの言葉を思い出した。“今年の四月に私が小林よしのり戦争論批判を行ったときに一人の学生が私のところに来て、愛する者のためにたたかうことがどうしていけないんだと…
本棚の文庫本が、引っ越しで作者や巻がトランプを繰ったようになっていたので、一念発起して分類し直した。神学書の整理とは違って、自分が何を読んできたのか、何を学んできたのか、また、何に偏っていたのかなど、ある程度客観的に振り返ることができて面…
赤木善光が、東京神学大の学生時代、自治会で小林秀雄を呼んで講演をしてもらったという。学生達に混じって、すでに東神大の教師となっていた井上良雄も講演を聴いていたらしい。天才的な批評家、小林の語りを、秀才の批評家であった井上はどんな思いで受け…
“大切なのは目的地ではない、現に歩いているその歩き方である。現代のジャアナリストは、殆ど毎月の様に、目的地を新たにするが、歩き方は決して代えない。そして実際に成就した論文は先月の論文とはたしかに違っていると盲信している。”(小林秀雄著、『モ…
ペリカンを読んでいて、テルトゥリアヌスの面白い言葉に出くわした。“罪のない子供たちがなぜ、こんなにあわてて、罪の赦しへとやって来なければならないのか。彼らが成熟し、学び、自分がどこに行こうとしているのかを教えられてから、来させよ。キリストを…
連れ合いに、ふと思い出した新任教師オリエンテーションの思い出を語っていた。伝道師になりたての頃、赴任した教会から10時間かけて、研修会場の天城山荘へ行った。途中に分団があって、それぞれのテーマに分かれて話し合うもの。わたしの当たった分団は、…
録画しておいた「クローズアップ現代」の、吉田秀和の回を観た。音楽評論家だというが、名前さえ知らなかった。そして番組を見て、あらためて批評の創造的価値を見出す思いであった。 ホロヴィッツが78歳で来日して「名演」に誰もが感動していた際に、吉田は…
ところでアレクサンドリアのキュリロスを調べていて、ヒュパテイアという女性の哲学者を知った新プラトン主義で、数学や天文学も教えていたらしい。わたしが知らないだけで、女性の哲学者という存在も、まだこの時代には何人もいたのかもしれない。ところが…
ペリカンを読んでいるが、4〜5世紀頃のキリスト論論争は複雑で、理解するのがきわめて難しい。神学生の頃も理解できなかったし、今もなかなかついてゆけない。ぼんやりと、だが、アレクサンドリアのキュリロスとアレイオスとの論争に、とりあえず理解の軸を…
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションで行われている南桂子展に、連れ合いと行っていた。メゾチントの説明で長谷川潔が言及されており、浜口といい南といい、パリにおける、日本人による銅版画技術復興の一側面に驚く。三人、どの作家も大好きだ。ため息が出…
E・スヒレベーク著、ヴィンセンテ・アリバス・塩谷惇子訳、『イエス 一人の生ける者の物語 (第一巻)』、新世社、2003を読了。大変読み応えのある良書であった。まだ第二巻、第三巻と続くが、いったん休憩して、先にペリカンの第一巻だけでも読了しなければ…
録画していた日曜美術館の南桂子の回を観た。連れ合いが以前に気に入って、彼女の絵葉書集を買っていたのだった。連れ合いがいかにも好きになりそうな、とてもやさしいが、とてつもなく寂しさもたたえた作品たち。描かれている少女の、言葉にならない寂しさ…
まったくありのままでないという矢川澄子の文体が、けっきょく彼女のありのままであるだろう、その予感だけは漠然としている。今はまだそれを存在論的に説明することはできないが。 矢川澄子が自死して10年経って、まったくその存在を知らなかったわたしが、…
『ユリイカ 矢川澄子・不滅の少女』の「座談会 生涯をかけて開かせた、傷の花」を読む。松山俊太郎が矢川澄子のネガティヴな傷をぐりぐり抉り出し、それに対して佐藤亜紀があからさまな不快感を示し、緊張感が走る。その均衡をかろうじて保つ、池田香代子。…
スヒレベークスの『イエス (第一巻)』を読んでいると、“イエスの思い出”という言葉が頻繁に出てくる。つまり、聖書学において、直接イエス自身の発言に帰することが出来ない語録や記事まとまりであっても、それは生前のイエスへの思い出の鮮やかな印象によ…
牧師復帰に困難を感じるほどに、神学を学ぼうと躍起になる。我ながら愚かしい悪足掻きだ。しかしまた、こういう状況下における神学の学びは自分にとって祈りと同じ行為なのだとも思う。キリストをより鮮やかに想起しようと悪足掻きする行為。
「梅ちゃん先生と同期ですね!」 「ああら、わたしのほうが先輩よ。医専、四〇人に一人しか受からなかったんだから。」 “現実には過渡の一形相でしかない「少女」を永遠化しようとするかぎり、その上には非か否か、もしくは不か未か、いずれにせよひとつの反…
『ユリイカ 矢川澄子・不滅の少女』が小林秀雄『モオツァルト・無常という事』とともに届いたので、矢川澄子から読み始める。表紙の矢川の白黒写真が、あちこちこすれて白くなっている。印刷所から旅に出て、倉庫や書店、また倉庫と、10年間あちらこちらを経…
スヒレベークスを読んでいると、彼が新約聖書学の膨大な成果を丁寧に取り上げつつ(敬意を払いつつ)、司牧者として神学的な考察を深めるという、牧会者にとっては理想的とも思われるような態度を取っているのが分かる。 彼は福音書のさまざまな記事が歴史上…
ケファはイエスによって、ペトロ(岩)と名付けられたけれど。あれは洗礼者ヨハネが「石ころからでも」と語ったことにも繋がっているのかな。ヨハネの預言によって、アブラハムの血統でさえ石ころに等しくされた。ならばいっそ、その石ころから今度は新たな教…
森茉莉の『甘い蜜の部屋』を読んでいて、モイラが百日咳で苦しんでいる場面が迫真的で、ちょっと気分が悪くなった。そして、やはり幻想や美というものは、こうしたとことん緻密で具体的な現実性の、丁寧な積み重ねによって成立するのだと実感。森茉莉の写実…
E・スヒレベーク『イエス(第一巻)』の第二部「イエス・キリストの福音」を読み始めている。洗礼者ヨハネについての分析が新鮮で面白かった。黙示思想でヨハネを括るのではなく、むしろ第二イザヤと結び付ける、ヨハネ活動当時からみても古い時代の預言者像…
ラヴェルの「水の戯れ」を聴きながらトーストを食べる。気分だけホテルのラウンジかカフェ。 音楽には鈍感であるが、ときおり友人が楽しんでいる音楽や、なんとなく観ているテレビの映像のうしろの曲などに、「これは」という出遭いを感じることがある。ラヴ…
録画しておいた「梅ちゃん先生」を、月曜から木曜の分まで観た。末期の肝臓癌の隠退船員と、その娘のモティーフ。父の溺愛する娘に婚約者が出来る。だが婚約者はひょんなことで、船員が戦時中戦争物資を輸送し、戦争協力をしたことを責め始め、父親と激論に…