2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

完全な者となりなさい

次の日曜、ずいぶん久しぶりに子どもたち相手にお話をする。マタイ5:43−48。末尾の「完全な者となりなさい」の「なさい」の部分が、エセステ、つまりエイミの直接法未来二人称複数形になっている。しかしたまたま参照したNIVだと"Be”であり、口語訳も新共同…

仮だからこそ本気

バルバラの72年のアルバムB面一曲目のイントロが、北島三郎かと思うような前奏だった。以前にヤンコ・ニロヴィックのインストゥルメンタルでも感じた印象。音楽理論に無知なのでよく分からないが、シャンソンと演歌には影響関係があるのかな。 昨日、テゼー…

ただの人間として

鰯定食食いに入ったら、横の二人がレコーディングの話してる。西海岸がどうのこうの。場違いでかっこいい。 テゼー礼拝に出た。牧師が、ヨハネ4:14*1から、ごく短く説教した。わたしたちは、自分の泉が渇いていると知っている。それでも誰かに親切にしよう…

教区総会の会場にATDの『出エジプト』が1冊だけ売っているのに気づいた。牧師に戻れるかどうかも分からないのに、こんな高い本買うことに意味があるのかと2秒ほど迷ったが、6年ぶりの新刊と聞いて、6年前の志が反射的によぎり、結局お札を差し出していた。

コミットメントは選べない

『NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教 オウムVS警察 』を見る。警察を批判することはいくらでも可能だろう。しかし警察にあれ以上の捜査を求めるとするなら、今自分が通っている教会に、毎週警察が監視に来ることを許し認める覚悟も…

今日初めて「理事長室」なるものに入った。すっとしたスーツに身を固めた秘書に案内される。彼女がうやうやしくドアをノック、「お越しになりました。」。立派な机やソファの整えられた部屋。大きな窓。話の途中、煌びやかな、蓋のついた湯呑が差し出される…

今日は聖霊降臨日だったが、教団の多くの教会同様、とくに装飾に変化があるわけでもなく、また、第5週は主任牧師が他教会を助けにいく日で不在のため、かなり地味な雰囲気だった。自分が洗礼を受け、かつて通っていたルーテルでは教会歴ごとに講壇布の色が変…

連れ合いと教義学の話をしていた。教義学の中身というより、なんで教義学が要るか、みたいな。熊野義孝の『日本キリスト教神学思想史』を読んで、当時自分がいた教会や周辺の教会に重ね合わせていたのだが、教義学というか教理がぼやけると、どうしても「い…

河本準一氏叩きで見失われる本当の問題 ここにも、先日の例と同じ「匿名の暴力」の分析が。ここで分析されている方法で行けば、あらゆる有名人を「整形した」とか「●●人だ」とか「カネをもらった」とかで抹殺できることになる。

大事なことを、端に忘れていたような

最近、自分がどんどん、傍流というか、周辺的なことに関心を抱きつつあることに気づかされる。この衝動は、自分では抑えられない。たとえば、以前は友人が取り組んでいる女性の同性愛というテーマなど、「まあいろいろあるわな」という程度に通り過ぎていた…

沁み込んでいるもの、体得していないもの

『法華経』の「薬草喩品」を読む。さまざまな薬草、灌木、喬木、大樹が多様に育つが、それを育てるのは同じ水、空を覆う同じ雲から降ってくる水であると。読んでいて、インドの熱帯雨林が、あるいは中国やアジアの山々が、そして日本の雑木林が目に浮かぶよ…

よくCSの先生を困らせた側w RT@macchan1109 【キリスト新聞】4面で連載中の「教会質問箱」は、「Q.旧約聖書における男女間の物語や人が殺し合う場面などについて、子どもがしつこく聞いてくるので答えに困っています(20代・女性)」。回答者は山岡三治氏(…

内田樹「呪いの時代に」ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5) ある牧師のつぶやきから知った記事。まったくもって同感。言語ゲームに…

同じ穴

“実際われわれは、「君はそれを知っているような気がしているだけだ、と僕は信じる」と言う人間に対して、どうやって答えるだろうか。”四八九 知っていることと、信じることとが、議論の無限の退歩として描かれる。気が遠くなる。これを使えば、要するにすべ…

これは、わたしの手だ。そうに決まってる。

“それならなぜ私にとって、これが私の手であることがそんなにも確かなのであろうか。言語ゲームの全体がこの種の確実性を基礎としているからではないか。あるいは、言語ゲームのなかでこの「確実性」がすでに前提されているのではないか。すなわち、ある範囲…

勝てないものは勝てないんだな。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120524/biz12052416070029-n1.htm まったく主観的な話だけれど、やっぱり寂しい。膨大な郵便物とゆうパックを配達する郵便局が、多少のメール便はあるとはいえ、ほぼ荷物専門のクロネコや佐川には勝てない。 朝礼で、…

おのれにてらして

ハートネットTVの『貧困拡大社会』の今月分を見ていた。取材されていたのは貧困生活家庭で学業や就職に支障をきたした子どもの社会復帰支援だったが、非常に学ぶものが多かった。前任地で同様の支援を行政と連携して行いかけたが、どうにも未熟だった経緯が…

本棚をぼんやり見ていたら、清水哲郎『パウロの言語哲学』が目についた。そういえば、この本で初めて「言語ゲーム」という概念を知ったのだった。そこで文学部の友人から永井均『ウィトゲンシュタイン入門』を譲り受けて読み、さらにはウィトゲンシュタイン…

だってそうじゃないですか、の、だって

“私は勿論、どんな人間にも両親があると信じている。だがカトリック信者は、イエスには母親しかなかったと信じている。また、ふた親なしに生まれる人間も存在すると信じて、一切の反証を受けつけないひともいるかもしれない。カトリック信者はまた、ただの餅…

同時性

ウィトゲンシュタインを読んでいた。連れ合いは赤川次郎を読んでいる。2003年に友人のDJがくれたコンピレーションを聴きながら。当時わたしは31歳。今彼女は31歳。音楽を聴いているあいだだけ、彼女とわたしは同い年である。

録画しておいた『日曜美術館』の「常田健」の回を観る。黙々と農民の生活を描く。筋肉の、静かで力強い動き。また、母が赤ん坊を抱き上げる絵があるのだが、赤ん坊の短い手足の指と、一輪大きく開いたひまわりの花びらとが、同じリズムになっている。計算な…

わたしの母

友人とフェミニズムや少女性の問題について語り合っていた。そこで、仲町貞子*1とアンナ・ジャービス*2のイメージが結び付いた。母を追悼する娘が、「母」の公共化に抗うイメージ。 仲町貞子にとって、母とは自分の母以外の何者でもなく、教会で高らかに牧師…

“だがつぎのように問うことができる。「大地はまだほんの僅かのあいだ、つまり自分が生まれた瞬間から存在しているだけだと信じる者の方には、それでは確かな根拠がありうるのか。」──彼が絶えずそう言いきかされてきたとして、このことを疑うに足る根拠を彼…

顔の交通

昨晩は夜遅くまで大学時代の恩師におつきあい願い、ツイッターで「対話」について対話させていただいた。対話は、論述の中身によるのか。それとも、身振りや顔つきといった、相手の厚みによるのか。もちろん二者択一ではないことは恩師もわたしも承知の上で。…

他人を知りたい

赤木善光著、『イエスと洗礼・聖餐の起源』、教文館、2012を読了。比較的分厚い本だったが、一気に読めた。とくに最後の「井上良雄と東神大紛争」は、著者自身渦中にある者として、文学的に面白かった。 赤木は、本書の冒頭で、荒井献や八木誠一らの生活の座…

すれちがった、と意識するだけでも

赤木善光『イエスと洗礼・聖餐の起源』の、「付論 日本基督教団の諸問題」を読んでいるところ。以前彼の『宗教改革者の聖餐論』を読んだときに、前提が違う事を意識せずに論争しても議論がかみあうはずがないと、教団の現状について思ったことがあったが、赤…

父の心子知らず

『法華経』の「信解品」を読む。ルカ福音書の放蕩息子の話を思い出した。父親のもとから、息子が去る。つねに息子を案じ、探す父。息子は50年の放浪の果てに、貧窮状態で父に発見されるが、大富豪となった父を自分の親だとは気付かない。保護されたのに逮捕…

プライド

とうとう一匹たりとも掬えないと諦めたときには、もう和紙は残っておらず、かすかな紙片がこびりついた環があるだけ。 先に書いた、金魚を頑張って掬うお話が消えちゃった。 自分の座っているところは段ボールみたいなもんだと安心していたけれど、和紙だっ…

解釈されるもの

赤木善光『イエスと洗礼・聖餐の起源』の、シュトゥールマッハーとタイセンのところを読んだ。たぶん聖書学の人たちからは一番小馬鹿にされそうなシュトゥールマッハーの解釈が、教会で仕える者にはいちばんしっくり来る。彼が聖書→解釈→教会→解釈→聖書の解…

復活日に

ローズンゲンを開いたら「主オエス・キリスト」となっていて、ちょっとびっくりした。