2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

イミンクと格闘中。彼は何が何でも神は「客体」でなければ気が済まないようだ。そして分析哲学も含め、あらゆる人間学的なものを斥ける。しかし、彼が言う、客体としての神が人間とコミュニケーションをとるという「現象」を、彼が批判する神学者たちは具体的…

人間学その2

「いのフェス」いのり☆フェスティバル 教会・団体・企業・学校・サークル・個人のためのフリーマーケット フェイスブックで「いのフェス」をシェアしたところ、信頼する同僚の牧師から「(アニメ的なものに、あるいは若者という世間に)媚びているのではない…

人間学その1

イミンク『信仰論』の「第10章 人間中心のパースペクティヴ」まで読んだ。あと少しだ。ティリッヒが丁寧に、しかしおなじみの仕方で批判されている。要するに「神学の人間学化」であると。わかったわかった仰るとおりですねと、頁を繰ってゆく。そもそもティ…

久しぶりに、ガーシュインを聴く。「パリのアメリカ人」は良いなあ。ストラヴィンスキーやラヴェルらと交流した様子が偲ばれる。

わたしにかたりかけてくるもの

録画しておいた日曜美術館の円空を見ている。柳宗悦が紹介していた木喰上人を連想。よいなあ。木のかたちに、いのりがいのちそのものとして宿っているような。 円空の仏像で、磨り減りまるっこくなったものが。お寺から子どもたちが持ち出し、川に浮かべて遊…

罪意識

http://kyodan.holy.jp/hc_o03.pdf たまたま知った。賛美歌の翻訳ひとつにも、神学が表れることを丁寧に考察している。わたしは福音派出身のせいか、このような罪理解に親和性を感じる。いっぽうではとことんロマン主義者のくせに(苦笑) 福音派であったか…

画面をきょろきょろなめまわした。

やっと「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」観た。何が何だか分からない物語だったけど、映像も音楽も、演技も冴え渡っていて素晴らしかった。部分というか、断片の集まりを堪能させてもらった。 朝、映画館に出かける前に、録画しておいたウルトラマンを観たの…

死を覚えることなしには

平家物語といえば、「耳なし芳一」だな。あれで平家とか源氏とか知ったんだと思う。子どもの頃に兄か姉かお婆ちゃんのお古かの怪談集が家にあって、読んだらトイレにひとりで入れないくせに(ひとり風呂に入っても戸を閉められなくなり、頭を洗うのに目をつ…

受け継いでゆくこと

さて、ごみ片付けや洗濯も済んだし、イミンク読むか。正直しんどいけど、こういう不得手な分野も勉強しないとな。 クリスマスの礼拝で、連れ合いの兄がハンドベルの指揮者をしていたのだが、その姿が亡くなった母親に非常に似ているように思われた。彼は、い…

分不相応な報酬

一連の行事が終わったあと、上司が「君と仕事をしていて、誰かと仕事するのを楽しいと久しぶりに思った。今回、あなたがいないと(仕事は)出来なかったよ」とハグ。戸締りと電源とゴミ片付けくらいしかしていないので畏れ多い限りだが、ハグされながら思っ…

クリスマス・イヴ雑感

Facebookは実名だから、やっぱりホンネ書くのは怖いな。なんせ求職中だし。 いやー、来春無職に戻ったらやばいな・・・・いつ「無任所」という形容詞が取れるんだか。 前任地時代、神学部の先生に会いに行った時、さらっとその先生が言った。「キリスト教は…

まねるたのしみ

聖公会の司祭の友人と、スカイプで語り合う。彼からはつねに大きな刺激を受け続けている。神学部時代にレヴィナスを一緒に読んだりしたことを、懐かしく思い出す。スラヴォイ・ジジェクとかアラン・バディウなんて人たちも彼から教わったのだった。今年もス…

完全にとはいかないが、知り得る─察する

“私があひるの姿を見ているそこに、うさぎの姿を見る他者が現われるとき、私ははじめて私がそれをあひるとして見ていることを、すなわち私がそれに与えている意味を、自覚する。そうして私は、相手の見ているうさぎとしての意味を理解しようとし、また、私の…

あいまいさに耳を傾けてくれる神学

イミンク『信仰論』を、一所懸命読んでいる。なんだろうこの「一所懸命」さは。ペリカンは翻訳が難しいにも関わらず、「次はどうなる!?」と読んでゆく。イミンクは「読まねば。学ばねば。」という感じ。人格、主体、応答・・・・・馴染みの神学的言葉遣い…

青空文庫で、「あたらしい憲法のはなし」を読んだ。 文部省 あたらしい憲法のはなし 今まで抜粋みたいなのしか読んだことなかったので、これを機会にと。とても分かりやすい。 “しかし、いくら普通選挙といっても、こどもや氣がくるった人まで選挙権をもつと…

追記 粗雑に

他者と何かを共有する可能性は、ウィトゲンシュタインの『確実性の問題』のテーマとも通じる。誰かが目の前の何かを徹底的に疑うとしても、自分の目があることの確実性は前提にしている。触りまくって確かめるにせよ、手があることは前提している・・・・・…

伝わる、たしかに。

自分と立場の違う人について、何が違うと思うのかよくよく考えて、批判してみるのは当然だろう。わたしもそうやって批判したし、また手厳しく批判されてきたおかげで、今どうにかこうにかものを考えていられる。批判されたら悔しいけれど、それはやっぱり有…

わたしとあなたにとっての真実

ちょっとしたきっかけで著者ご本人とお話しする機会があり、手渡された本を読んでいる。吉松繁『在日韓国人「政治犯」と私』(連合出版)。四半世紀前のものだが、不謹慎な表現が許されるなら、とても面白い。満州で生き延びた体験、ベトナム戦争真っただ中…

さあ、明日は大切な日だ。寝よう。こころみはみこころであり、いのりはいのちであることを、葬儀においてほど強く感じることはない。

わたしのコンテクスト あまりに私的な神学

イミンク『信仰論』の「第6章 シュライアマハー」まで読んだ。いろいろと挑戦を受ける章だった。ロマン主義的なものが絶対に正しいとは、わたしも思っていない。ただ、わたし自身のいろいろな挫折体験、自分の辿ってきた非キリスト教的ルーツなどの理由から…

昨日、風呂でのぼせかけていたら、ふと“あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。”という箴言の言葉が思い浮かんだ。 たとえば何人も人を殺したすっっ…

シタールだが、ロックである

ラヴィ・シャンカルのCDが届いた*1。さっそく聴いてみる。不思議なものだ。シタールだし、インド(といっても広大すぎるけど)の音楽のはずなんだが、どう聴いてもイギリスの音楽に聴こえる。先にビートルズやストーンズでシタールを知ってしまったからだろ…

補足

ツイッターで世界中の膨大な数の人々からフォローされているベネディクト16世様が、わずかに7名の方をフォローしておられる。どんな方々をフォローしておられるんだろうと思って見てみたら、各国語のご自身であった・・・・

昨日の雑感まとめ〜サービスすること

ブログにコメントして下さった方のご教示により、コンドルセやボルダのパラドックスというのを知った。また、アローの不可能性定理というものも。数式は難しいが、たぶん大雑把に捉えると、選挙において票が非常にばらついた場合(競り合った場合)、誰か一…

息遣いのする青

松本竣介展を観に行った。画家も戦争画を描かざるを得なかった時代に、描かず、ひたすら地味に地道に、風景と人とを描き続けた人。戦争画から自立した芸術それ自体を、あんな時代に堂々と雑誌で主張した人。戦後の混乱期に、36歳で病死した人。今、こういう…

喜び/悲しみに満ちた世界・・・・「満ちた」とはなにが?どうやって?

野矢の議論が面白くなってきた。まず「心」があって、それが自分を取り巻く世界について「悲しい」と思うのではない。その人にとって、世界は悲しい相貌をもって現れたのであり、悲しさは世界の性質である。それが「心」の内面のありようとされるのは、他者…

メモ ─ 野矢とアウグスティヌス

“「子どもなき世界の親」なる存在は可能だろうか。ありそうに思えるとすれば、現に親子が存在しているこの世界からすべての子を殺してしまうような想像に基づいているだろう。だが、はなからこの「子どもなき親」しかいないということ、そんなことは可能だろ…

「正常さ」は移植可能か

“いったい、「正常な状態」とはどのような状態のことだろうか。健康状態が正常であること、鉄道の運行状況が正常であること、テレビの映りが正常であること、ある人物の言動が正常であること、・・・・・。いったい、これらすべてに共通する「正常さ」という…

連れ合いが、矢川澄子を読んでいる。

代表による語り

イミンク『信仰論』を第1章「信仰の構造」まで読み終えた。とくに新しいことが書かれているのではなく、これまで教えられ、信じられ、告白されてきたことが、落ち着いた穏健な表現で綴られている。そこであらためて思ったことは、信仰とは継承されるものであ…