2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

少女に関連して 師の思い出

森茉莉の最晩年を矢川のテクストから読むにつけ、わが師匠の最期の日々を思い起こす。存命であれば今年で90歳になる彼女も、最期までほんとうに少女であった。教会の人々を元気にしたい、否しなければならぬと、倒れて死ぬ直前までいきいきと目を輝かせた。…

「少女」ではあり得ない、それでも

矢川澄子、『「父の娘」たち』、平凡社、2006を昨日読了。かつて宮川淳のテクストに出会って以来の、久しぶりの硬質で清潔感あふれる文体だった。また、矢川の、森茉莉や野溝七生子についての記述のなかに、彼女の老いと死についての、受容と拒絶の微妙なゆ…

顔に追われて

『梅ちゃん先生』を見ていた。下町の診療所で働く、いかにもハードボイルドな過去がありそうな医師の坂田が、過去を語る。満州で軍医だったが、敗戦時に患者を放り出して逃げ帰ったと。帰ってから患者の顔が浮かび、酒びたりになったと。 そのような体験に基…

読む、観る

矢川澄子と森茉莉の関係のゆたかさを想像する。「聴く」という言葉のほんらいの意味がそこにある。森は矢川にひたすらおしゃべりを続けたという。矢川に帰られるのを恐れるかのように、間断なく。また、矢川は矢川で、元気な森と同年齢ながら寝たきりとなり…

入れちがいに

矢川澄子著、『「父の娘」たち』、平凡社、2006を読み始める。森茉莉についての回想の「至福の晩年」を読みながら、そのタイトルもあって、違和感を覚えていた。荒俣宏による『知識人99人の死に方』で読んだ森茉莉の最期の、いわゆる「悲惨さ」が、そこには…

追記

無任所教師となり、ぼんやりベンチに座っていた。無気力のきわみで寝転びたくなったら、ベンチのど真ん中に手すりがついていた。元気な時には気にしたこともなかった。ホームレスはホームがないからベンチに寝るのだ。ベンチに寝るなアホというメッセージは…

二度と来なくなるまえに

毎月、連れ合いと教育テレビの『ハートネットTV 貧困拡大社会』のシリーズを見ているが、彼女が古本屋でその解説者である湯浅誠の『反貧困 ──「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書、2007)を見つけてきた。彼女よりも先に読んでしまった。 先にテレビを見…

受容は受け手の主体をも超えて

森茉莉の 孤独死を至福の死として受けとめた矢川澄子に、「納棺夫日記」の青木新門にも通じるゆたかさを見る。あらゆる生の在り方、終わり方をも肯定する視座。しかし矢川澄子自身は、自らの死を受容できたのだろうか、自死をその身に引き受けて。今度は読者…

微視的に生きる

ある誠実な牧師で神学研究者である方が、震災について説教で言及する、ないし日ごろの教会生活で聖書的にこの大災害を説明しようとすることの限界性について語っておられた。大いに刺激を受けた。そこには「プロテスタントの」キリスト者が持つべき視座のよ…

テゼー礼拝に行ったら、少し暑かったので上着を脱いだ。すると恩師が「あ、それが“あつらえたチョッキ”だね?」。なんだかとっても嬉しかったなあ!

クローンで復活!?

連れ合いが古書店で亀山郁夫著、『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』、光文社、2007を買ってきてくれた。新書で読みやすく、二日ほどで読了。面白い研究書を読むときはいつも感じることだが、推理小説を読むような躍動感だった。 未完成のうちに著者が…

勉強不足で恥ずかしいけれど

オルガンのコンサートを聴く機会に恵まれた。松居直美というオルガニスト。バッハのコラールやミサ曲を、「クラヴィーア練習曲集第3部」なる典拠によって、教会の聖歌隊と共演、そして独奏。最初に松居氏自身による曲の解説があり、それもとても勉強になった…

岩波文庫の『法華経(上)』を読了。百千万億という比喩とか、ガンジス河の砂の数が由来だという恒河沙といった、気の遠くなるような数のイメージに圧倒される。一方では刹那のような、ものすごく小さな数を表す表現も仏教にはある。数字へのセンス、見える…

想像の限界

録画しておいた『宇宙の渚』を見た。宇宙から飛来したアミノ酸によって生命が生じた可能性が高いと。そういえば、以前ヴォートの『生化学』で読んだ生命誕生の説明では、潮の干満と波による低温水の攪拌によって、波打際でアミノ酸からたんぱく質が生じた旨…

補足

そういえば「宇宙の渚」で、宇宙から地表をはるか見下ろしつつ「国境などない」と語るまさにその場面で、地表に「シリア」とか「イスラエル」とか「イラク」と白文字を入れていた。国境のない大地を、しかし国家の枠組みを無視しては認識できない人間。 和辻…

ペンの帰還

何度も紛失しながら、そのたびに見つかったボールペン。​ 伝道師になる祝いに、神学生として奉仕した教会の方から頂いたペンである。その方には縁あって、初任地の会堂改築の際の設計までして頂いた、そんな恩人から頂いた、ボールペン。 この春の桜の季節、…

たとえ傷の舐めあいに過ぎなくとも

連れ合いが、ちょっと辛いことがあって、心身ともに疲れている。しかし、わたしは彼女に向き合うことができずにいた。今日、礼拝堂で少しく祈った後、ほんのちょっとだけ、彼女に寄り添った。沈黙して横たわる彼女に、わたしは自分の抱える将来への不安や、…

礼拝堂に住みつく

礼拝堂に住めるということは、とってもぜいたくな恵みなんだということを、一昨年無任所教師になって知った。早朝や夜間に、ひとり講壇の前で祈り、黙想する喜び。 郵便局の破れたソファで聖書をむさぼり読んだ日々を思い起こしつつ、今再び礼拝堂に住ませて…

異例だからこそ

難しいのでなかなか読み進まないペリカンだが、「救いの意味」のところをどうにか読んだ。初期の教会が、だんだんと「贖い」の教理を整えてゆく苦労ぶりが描かれている。当初は十字架それ自体の積極的な教理は、まだ整えられておらず、創造から堕罪へ、堕罪…

何度も味わい直すこと

“教会は、宗教の歴史に結び付けられた超自然主義の源泉として旧約聖書を用いたが、それを必要としたわけではなかった。しかし、教会は旧約聖書から、「超自然的なもの」を再定義することを学び、「霊的な世界」とこの世界の間ではなく、最終的には、創造者な…

まだまだ説明不足

ただ、実感としてこれだけは言える。信仰は、選択できない。般若心経や法華経にとても魅力を感じるのになぜ仏教に帰依しないのかを、「なぜ選ばなかったのか」という論理でもしも矛盾なく説明できるなら、その論理を克服することもたぶんいずれはできるはず…

郵便局の窓口で、杓子定規な応対に腹を立て、思わず声を荒げてから、あとでしまったな、と後悔する。自分も郵便配達をしていたときに、なんど客からの、なかば不条理な怒りに曝されたことか。職員たちは客の怒りに毎日曝されて、なかば殺気立っていた。 “あ…

ヴィム・ヴェンダース監督の映画『RADIO ON』を、時折うとうとしつつも最後まで観る。外の雨の音や、教​会にやってくる人々の足音や話声が映画に混じり合い、なんとも心​地よかったのだ。白黒の、ノイズがたくさん入る画面や、どこかや​わらかい音のつくりも…

奢りようやく端緒

漫画オンリー、文字だけが並んでいる本はとても受けつけることができなかったわたしが、ほとんど同時に、初めて夢中で読んだのは、寺山修司と澁澤龍彦だった。テレビで格好良く特集でもされていたのかもしれない。わたしが自分のセンスでそんな本を選べるは…

静かに、しっかりと

今朝は雨がしとしと、涼しい。昨日はいろんな意味で暑/熱かった。昨日、緊張しつつ東京神学大学へ出かける。国際基督教大学やルーテル学院大学がある付近に「神学大角」と表示のある交差点がある。交差点名の由来は明らかだろう。 バスを降り間違えて国際基…

すでに、今、これからも

久しぶりに前任地時代の友人に電話をかけてみた。前任地から車で1時間程度の、海辺にある教会。彼もわたしもいろいろなことで苦労し、「‘主に委ねる’ってなんだ?」と、喧々諤々、しょっちゅう語り合ったのだった。当時の熱気みたいなものが、電話の向こうか…

オーロラ

録画しておいた『宇宙の渚』のオーロラの回を観た。17世紀に太陽の活動が弱ってオーロラも出なくなり、銀河宇宙線の降り注ぐ量が増えた影響で雲が増え、結果的に寒くなった、というような説明。とても興味を覚えた。気候がすべてを決めるわけではないにして…

お薬師さんを動かす

NHK『奈良 “祈り”を撮る』を観た。薬師寺で修業する20代の若い僧が、「お薬師さんをわずかでも動かしたい」と、声張り上げて読経する姿に感動。 人間の現実に対して微動だにしないかに見える薬師如来への「なぜですか!」という怒り、叫びを、祈りにおいてぶ…

傷を負う

映画『司祭』(1990年、アントニア・バード監督、ライナス・ローチ主演)を観た。同性愛に苦しむ若いグレッグ神父。父親による性的虐待に苦しむリサ。リサは神父に告解をするが、グレッグは司祭の規律のため、告解の内容を救済組織等に通報できない。彼は結…

伝承と出遭う

“例えば、中世の終わり頃と宗教改革の時代に、西方教会の神学論争の中で、聖書と伝承(伝統)の関係という問題が激しい争点となったのは、統一された体系の犠牲の上でのことであった。伝承は啓示の独自な源泉であるという理論の支持者たちは、伝承と使徒的継…