2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

捗らず

引っ越しの荷造りを始めた。無任所教師になるときに1回、その後1回、東京に来るのに1回、そして今回。もう引っ越しにも慣れたが、そのたびに捨てたり買い直したり出費がかさむ。それになにより、どうにも落ち着かない。次こそはしばらく定住したい。 箱詰め…

テレビ雑感

録画しておいた『カラマーゾフの兄弟』を観ているんだけども。小説で感じたあの親近感が無いなあ。なんか遠〜い世界の、自分とは無縁のハナシというか。みんなのオーバーアクションも、ドストエフスキーのカーニヴァルというよりは80年代のバブル絶頂期トレ…

教理について雑感

ツイッターのタイムラインに、よくマザー・テレサの言葉が流れてくるが、たとえばその生涯を全く知らない人が彼女と同じ言葉を彼女より先に発していたとしても、それはただの理想論としか受け止められまい。相手の手を握り介抱したであろう「マザー・テレサ…

伝道「対象」?

(若い人に教会に来て助けてもらいたいとかじゃなくて、逆に若い人に「教会ではこんなにステキに歳を取れるんだ」と示すくらいでないと、という意見を聞いて) わたし自身のなかにある、教会に来てほしい若い人=共同体を維持存続させるための必要人員、とい…

入り口と本質と

(ある方が、都心で若い人向けにスピリチュアルで自由なコミュニティとしての教会を拓きたいと語っておられたことに触発されて) クリスチャンでない若い人と接していて、たぶん若い人たちはこういうキリスト教を求めているんだろうなあとつくづく思う。例え…

研ぎ澄まされる皮膚

世田谷美術館の『エドワード・スタイケン写真展 モダン・エイジの光と影1923−1937』を観に行った。じつはこの写真家の名前すら知らなかったのだが、ポスターを見て、谷川渥『鏡と皮膚』の、あの印象的な表紙写真の人だと分かり、展覧会に行くことにしたのだ…

和解は人間の目標、されど

ペリカンの『キリスト教の伝統 2』を読み続けている。正教が聖画像破壊主義者と論争し、ユダヤ教と論争し、二元論と論争し、イスラームと論争した経緯から、学んでいる。論争の際に正教側も相手側も、仲良くなろうとか、一緒になろう、まして譲歩しようなど…

この小さな出来事のなかでこそ

録画しておいた『日本人は何を考えてきたのか』第11回の西田幾多郎を観る。重たい。結果ありきではない思考の、なんと難しいことか。追認ではなく批判することは、三木清であれボンヘッファーであれ、命をかけるしかないというのか。これほどに究極の選択を…

ありがとうございます(って、まだ終わらないよ)

このブログに幾度か、厳しいご指摘を下さった方もおられた。その方々一人ひとりに、感謝せずにはおれない。自己愛の問題、また自己卑下/自己受容の問題など、自分では目を逸らそうとしていたこと。これら自己の核心の問題には、他者からのまなざし、言葉が…

隙間に指をつっこめる程度には

2010年8月1日以来頭に貼り付いて脱げなくなっていた「無任所」の冠が、ようやく剥がれそう。この春から。ただただ主に感謝。主が出会わせて下さった多くの方々に感謝。冠と一緒に、だいぶ髪の毛も剥ぎ取られそうだが・・・ 昨年秋に見た『素晴らしき哉、人生…

理想と現実、現実と理想

教会の映画鑑賞会で『スミス都へ行く』を観る。1939年のアメリカ映画だそうだが、テーマがまさに「今」なのに驚く。もちろん古い映画なので単純化・戯画化されているが、民主主義や議会政治の理念を、地方から出てきた純朴な青年および子どもたちの眼差しを…

耳を塞ぐな

(ある方の、本気で伝道したいなら働きながら小さな教会で牧師をしたらよいではないか、生活のために職探しとして任地を求めているのではないか、という問いかけに応答して) 厳しいがええこと言うなあ。実際、無任所教師のあいだ、牧師になるとはどういうこ…

自分の性を自覚する

録画しておいた『歴史秘話ヒストリア』で花魁の回を見る。歌麿って、ほんとロートレックみたい。吉原の女性たちの日常をみごとに写実している。 吉原といえば小野武雄『吉原と島原』が資料としては参考になるが、視線はどうにも男性のそれである。池田弥三郎…

お金に顔を見る

(ある方の、牧師は信徒から搾取しているのでは、という主旨のツイートに関連して) 前任地において、若気の至りで、いわゆる「待遇」みたいなことで不満を呟いてしまったことがあった。すると信徒の方が仰った。「ハローワークに行ってみなさい。この町の人…

激論をめぐって

(キリスト新聞社の松谷さんの或る発言と、それにまつわるクリメント神父さまの批判、反論をツイッター上で拝読して) 以前赤木善光の『宗教改革者の聖餐論』という本を夢中で読んだことがある。何が面白かったのかと言うと、ルター、ツヴィングリ、カルヴァ…

閑話休題

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調って、ガーシュインの曲みたいだなあ。 ラヴェルのことを考えていて、なぜかロートレックの伝記映画を思い出す。ラストで彼の棺が運び出される際に、道化師たちがその後を追いかけるシーン。彼らは決して棺に追いつけず、徐々に…

異なる知見の存在を覚えて

東京に暮らして来月で1年になる。こちらでは教文館や御茶ノ水クリスチャンセンター、大きな教会などでいろいろな講演会やイベントもあり、キリスト教関連の書籍も入手しやすい。そういう環境にいれば、信徒にもそういった知的な探究心が芽生えることも多くな…

メモ

東方では、父、子、聖霊を、あくまで明確に区別することから始めている。父が原因、そこから子であり、聖霊は父から発出し、子を経て我々へ。それに対して西方では「関係性」が重要である。子と父との関係を結ぶのが聖霊である・・・・で、だいたいいいのか…

地図を見る

ペリカンの『キリスト教の伝統 2』の、ようやく「フィリオクエ」の手前まで来た。西方のアウグスティヌスと、東方のマクシモスとの類似と相異が面白い。アウグスティヌスの堕罪論は、アダム以降の罪の遺伝を語る。マクシモスはアダムを人類全体の話と見る。…

死とつきあうすべ

親しい先天性の全盲の方に、眠ったとき夢をどんなふうに見るのか聞いたことがある。風や人の肌触りや音声を「見る」と。つまり聞こえたり感じたりすると。また、全盲に近い弱視の方が、手術などの治療によって「見える」ようになった結果、かえって怖くて出…

録画しておいた『ウルトラマン』第31話「来たのは誰だ」を観た。30歳の青年が登場する。だが、実際の俳優が数歳年上であることを見積もっても、40歳のわたしと限りなく同年代に見える。それに衝撃を受けてしまった。ストーリーどころではない。 昔の人は今よ…

ツイートと、出会いと、コミュニケーションと

(ツイッターのタイムラインで洗礼の意義に関する議論を読んで) 洗礼こそ最大の難関なり、か・・・こればっかりは対面のコミュニケーションも込みでないと、ツイートじゃどう語っても詭弁や自己擁護としか受け取ってはもらえないだろうなあ・・・ 洗礼の理…

むかしツイッターの使い方が分からず、誤ってチェ・ゲバラのbotをリムーヴしてしまったのが、未だに悔やまれる。検索しても二度と現れてくれない・・・・ チェ・ゲバラで思い出した。『チェ 39歳 別れの手紙』という映画を、数年前に映画館で観た。処刑前の…

“私は道に迷ったので、帰り道を教えて欲しいと頼む。すると、案内をしてやろうといった人が、平坦な道をかなりの距離、一緒に歩いてくれる。突然、道が行き止まりになる。すると案内してくれた人がこういうのだ「君の仕事はここから帰り道を探すことだ」―あ…

頑固一徹

昨日ニコライ堂で、信徒の方がガイドをしておられ、説明を受けた。キリスト教の流れを示した図を見せてもらったら、正教の矢印が一番太く、そこから二番目に太いカトリック、そして細々とプロテスタントの矢印・・・・。 イコンに描かれた神は、ガイドによる…

ニコライ堂へ

ツイッターで知ることとなったクリメントКлимент北原Σίμων 神父さまと少しでもお話ができればと思い、出張の帰りにニコライ堂へ。洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼を祈念?する礼拝だったらしく、礼拝終盤の一部を見学できた。暗い堂内に灯る無数の灯明。荘厳…

ニコ生放送に出た

内田樹“「主体」が決断を下すのではない。決断が下された後になって、そのような行為を起動させた「始点」が事後的に確定され、それを人は「主体」と名づけるのである。(中略)「私」が「他者に暴露される」というより、「他者に暴露され得るもの」、それこ…

補足

クリメント神父様が繰り返しツイートされるように、ニコライ堂はロシア正教ではなく日本正教であることが建物外壁に描かれたイコンからも分かる。その図案のなかで神に開かれた聖書の頁のなかには日本語で “太初に/言有り/言は神と/共に有り”とくっきり書…

ナイーブとナーバスをよく混同する。カタルシスをカタストロフィとよく見間違える。 録画しておいた『ウルトラマン』第30話「まぼろしの雪山」を見る。“ゆきんこ”と呼ばれる「親なし子」と、ウーと呼ばれる怪獣が、人々の利権に巻き込まれ、徹底的に排除され…

追記

昨日の夕方、親しい人の死に直面したばかりの人と話した。慟哭する人に、祈りの言葉をそっとかぶせた。今さら回顧するなら、人はaloneになることができれば、aloneを知れば、そこには慟哭ではなく静かなる受容が生じたのかも知れない。しかしわたしにできた…