2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

読者

『Ministry』読者モニター会に参加。ホンネに迫ろうとする雑誌、敷居の低い雑誌であるからこその読者からの応援を感じる会だった。編集長の松谷さんともだいぶ話せて、嬉しかった。松谷さんはくそまじめとユーモアとが抜群なバランスと緊張とで同居する人だ…

手で刻まれる言葉

午前中、亡き師の姉に挨拶の葉書を書いて出した。明日で師が亡くなって7年。ご存命なら90歳になる。そのお姉さんって何歳だっけ。元気に農作業しておられるはずである。前任地在任中は、毎年召天日(命日)に訪問していた。辞任後は、こうやって葉書を出して…

囁かれる福音

今日はいよいよ冴えないきもちで月一度のテゼー礼拝に出かけた。いくらなんでも今日は礼拝で気持ちが晴れることもあるまいと。けれども、短い賛美歌を繰り返し唱和し、沈黙し、例によってみんなと同じ向きに座った牧師の、独り言めいた呟き説教に耳を傾ける…

眠狂四郎と勝負させたら

午前中『るろうに剣心』を観に行った。キャスティングといい演技の切れといい、漫画のイメージをよく再現できていた。二次元を三次元に解釈することの粋に、ただただ脱帽。ただ、チャンバラの場面でBGMがうるさすぎたことだけが残念。どれもこれも要らないと…

二人のひと

“弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れる…

福音の積み重なり

次の日曜日の教会学校教師会のための、聖書箇所に関する説明を準備。将来のことなど、いろいろ悩む日々だけれども、こうやって聖書に向き合っていると、安心する。聖書から様々な発見をすることは、とても創造的な作業に思われる。 スヒレベーク『イエス(第…

委ね方は、勉強できない。

クリスチャンの家庭に生まれ育っていないわたしの信仰などというものは、所詮芥川が「西方の人」でなぞってみせた、知識偏重の、聖書への文学的アプローチに過ぎないのかもしれない。「気がつけば其処に神がいる」というような、二代目以上のクリスチャンの…

じくじく

なんか助けてもらってばかりいるしんどさというか情けなさというか。恩義が溢れるほどいろんな人にあるのに、かけらほどの成果も出せない悔しさというか。 助けてくれる人々はみな多忙の合間を縫ってわたしに関わって下さるのに、わたしは暇を持て余しては誰…

殻のなかの平安

録画しておいた「わたしは貝になりたい」を観た。貝という一言、あらゆる積極性や可能性への疲れ、断念、絶望。貝になりたいと願わざるを得ない人間を思い、泣いた。不条理の極みのなか、貝になりたい人間は、たぶん今もいる。 「わたしは貝になりたい」、深…

ロマンチックなかいじゅう

録画しておいた『ウルトラマン』の「恐怖の宇宙線」を観る。ガヴァドンという、子どもが土管に落書きした絵が実体化して怪獣になる話。へたくそな絵がそのまま今でいう「ゆるきゃら」、おとなしくてかわいらしい巨大怪獣に。人間やウルトラマンにやられっ放…

信徒修養会の分団終わり。人から聖書の質問をされることなんて長くなかったのでドキドキしたが、面白かった。やっぱり聖書の問答は牧師にとっての醍醐味があるな。もう一度牧師に復職したいなあ。

重層的な受容

スヒレベーク著『イエス 一人の生ける者の物語 (第二巻)』を読み始める。全巻で言及されていた、ギリシャ語を話すユダヤ人。申命記的歴史観。すなわち、十戒が神から与えられた本来の戒めであり、その他の詳細な律法は人間が現実に妥協した結果生じた、堕…

補足

“すなわち、彼(レヴィナス)によるとギリシア以来、中世を通じ、デカルト、カント、ヘーゲル、ハイデガーを支配してきたロゴス(理性)は、万有の理性的理解を求め続けてきた。その際、理解とは、仏語comprendre(com- 一緒に+ prendre 採る ⇒ 一処に採り集…

さかいめ

MSN ニュース 鑑賞者側も、芸能人の芸能活動と政治信条とを分けられないものかな。日本でもそうだけど。芸能人が自ら積極的に発信しているのならともかく。 個人の信条は、黙っている人にまで告白を強要するものだろうか。日本でも原発や領土の問題をめぐっ…

ただ、そこにいることのための備え

あさっての修養会の準備をしていた。とくに講演などの役割が当たっているわけではないけれど、誰かに何かを聞かれたらいつでも精一杯応えられるように、準備だけはしておこうと思う。ただそこにいるだけ、というのは、それだけでも大切な役割なのだから。

空気を読めず、距離を取れず

誰かを目の当たりにして、はらわたがちぎれるほど憐れんだり、馬がいななくような激情にかられたりするイエス・キリストは、看護やカウンセリングや、牧会はできない。看護師が患者の感情に究極に共感してしまえば、燃え尽きる。職務として他者に適切に寄り…

夜はネガティヴ

不安で寝れん。楽になりたい。 なにもかもうまくいかない 自業自得だがな 人生は賭けだ、とかいうけど、それって人生はたいていハズレって言ってるのと同じだよな。もしも自分だけは大当たりさと信じる脳天気さがあるなら別だけど。 このまま寝て、そのまん…

ひととじぶんとの浸食

Facebookも登録しているが、高校を中退しているので、少年時代の友人とは全く再会しない。小中学校もプロフィール欄にあればいいのに。 Facebookをやって分かったのは、わたしには実名で公表できるほどのなにほども無いということである。ただし、他人の充実…

昨日の口語訳に続いて、今日は佐藤研訳の、岩波書店版のマルコ福音書を読んでいた。口語訳が1950年代当時の日本人の現代性に訴える訳ならば、佐藤訳は現代と古代との距離をあらためて意識させる訳だと言える。 数年後に出るらしい新訳は、どんな視角を持って…

意味もなく憂鬱すぎてやばい。 しんどいのに眠れない。滅入ってたまらない。芥川龍之介の声を聴きに、田端までほっつき歩きたい。

現在化される

次の日曜日に教会で修養会があるというので、準備のためにマルコによる福音書を通読し、略解や註解の緒論を読んでいた。伝承が伝承として伝わってゆく面白さを、あらためて感じ取ることができた。先日橋本牧師から聴いたボンヘッファーの講演から感じたこと…

分かりやすさの困難

連れ合いが「うーん、うーん」と考え込みながらもどうにか読んだ『はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内』(PHP文庫)の著者が野矢茂樹で面白そうだったので、読んでみた。 ウィトゲンシュタインが問うて問うて問い詰めそうなテーマを、…

主人と客の二重性

連れ合いが買ったものの「むずかしい」と挫折していた鷲田清一『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ)を読んだ。レヴィナスやメルロ=ポンティの他者論から、緊張感ある、しかしやさしい眼差しに満ちた、謙虚な臨床哲学が展開されている。 聖公会…

悪夢の色彩

帰省中に読んだ「西方の人」、背景抜きに読むとぶっとんだキリストで面白かった。若干の背景をもって振り返ると、追い詰められた芥川龍之介が、ワイルドが「獄中記」に描いたようなキリスト像に、ニーチェと対峙しながら肉薄しているような感じか。でも、テ…

生き抜くこと 派遣やアルバイトで働いている友人知人は、みんな生きることに真剣なのであって、仕事の種類云々はそのための手段と割り切っている。自身を顧みるに、仕事にやたら神学的な高尚さを求め続ける限り、二度と社会復帰はできまい。どんな職業であれ…

縦横無尽

同僚との学びで、釜ヶ崎に。古びた建物と広い道を、あらゆる方向に人が往き来している。縦、横、斜め。座るひと、話すひと、こちらを見るひと、すれ違うひと…大変不謹慎かつ上から目線まるだしで恥ずかしさのきわみであるが、不覚にも「絵になる」との思い禁…

連れ合いより一足先に帰還。友人らと過ごした昨晩が夢のよう。あまりに楽しい休暇から帰省し、寂しくて眠れぬ。

わたしはロマン主義者だ。小田垣雅也が語るロマン主義神学も好きだ。だからこそ、過剰なほどに、なぜドイツロマン主義があの事態におちいったかを、考えぬかねばならぬ。日本についてもまた。

裏切りの自覚

橋本祐樹牧師による終戦記念日の講演「ボンヘッファーにおけるキリストとこの世 〜現代の状況の中で読む〜」を聴いた。ボンヘッファーについては、翻訳されているいくつかの著作を読んではいた。しかしそれらを系統立てて、ドイツの背景のなかで、非常に分か…

まだ閉じていない

映画「ヒトラーの偽札」を実家で見る。何に対して誠実であるのか、また、なにをもって「裏切り」とするのか。単純なナチス━ユダヤ人の二項対立的図式では決して理解できない、もっと深く複雑な誠実と裏切りの襞を見る。また、そのために入念に準備された構図や…