2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧

一年をふりかえって

去年の年末年始の辛さを思えば、今は平安だと言うべきだろう。責めに責められながら、土下座の年末年始だった、あの屈辱の日々。 耐えに耐えた6年の末、家族が病気となり、仕事も失って、未来もよく分からないが。この仕事は、そういうものだ。周りにもそん…

備忘録 詩編の印象

昨日午前中に詩編の最後の30篇くらいをいっぺんに読んだ。 今まで詩編を礼拝のツール的には扱っても、自分の言葉として読んだことはなかった。 おとといちょっとしんどいことがあり、昨日は朝から祈る気持ちがしなかったが、詩編は開いてみた。すると、祈る…

マクグラスをおやつに

昨日はちょっとしんどいことがあって、しんどい午前中を過ごす。身を寄せている教会の牧師に午後からお茶に誘われていたので、昼食後教会へ出かける。この教会の2階はさながらカフェのような、洒落た小さな空間になっているのだ。 愚痴で満たされるかと予想…

夢も現実の一部

24日と今日、何年ぶりかに「聴く」クリスマスが与えられて感謝。今日はマタイ2章だった。14節のメッセージが心に響いた。ヨセフは朝まで待たなかったと。すぐに旅立ったと。辞任するとき、近隣の同僚がわたしに語った言葉を思い出した。ルカ2章。あなたには…

リサイクル

15年愛用している三つ揃えがある。当時は「ゆったり」がよかったのだが、今は「ゆったり」がなんか面白くない。というわけで、いつもお世話になっている仕立て直し屋さんに持っていった。「あれ?こちらへ帰られたんですか。転勤多いですね」などと談笑。 気…

読書メモ 『汚穢と禁忌』

メアリ・ダグラス著、塚本利明訳、『汚穢と禁忌』、筑摩書房、2009.を第四章まで読む。 旧約聖書学との対話のなかで文化人類学的にレビ記を読む第三章『レビ記における「汚らわしいもの」』は読み応えのあるものだった。 ロバートソン・スミス以降、イスラエ…

あっという間やなあ

潜っていた臨床牧会の講義、1月もあるのかと思っていたら今日で最後だった。唐突で寂しい。実に楽しい講義だったのに。月曜朝1限は眠くて厳しかったけど、朝の学校は気持ちよかった。もうしばらく学校にも行かないかなあ・・・・ 週一度の通学は現実逃避の…

らくだ色

福井県は寒いというので、出張前日閉店前のダイエーに向かい、「どれがいちばんあったかいですか?」と店員にききまくり、キルト地のらくだ色ズボン下、やはりキルト地の白色長袖シャツ、それに腹巻を購入。下着でも上等なものは6000円以上もするのだと、そ…

前夜式

神学生時代、わたしにレコードを下さったご婦人が、天に旅立った。やっと先に待っている息子さんに会えたと思う。 前夜式はルカ7:11−16による牧師の説教。25年前に山で遭難した彼女の息子のことを語る。 ふと、連れ合いの叔父の葬儀を思い起こす。同じ説教…

ダブル・スタンダード

バーン&ボニー・ブロー著、香川檀、家本清美、岩倉桂子訳、『売春の社会史 古代オリエントから現代まで 下』筑摩書房、1996.を読了。上下巻あわせて、相当読み応えのある本だった。 結論として著者は、売春を完全に非合法として取り締まるのは不可能とし、…

布団の中で

突然思い出した「かみさまに かんしゃしましょう ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ かみさまは よいものをくださった ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ」付帯施設の「おばあちゃんせんせい」が事あるごとに子どもたちと歌った。 今、この素朴な歌詞がその歌声とともに…

小冊子

教団総会では、一部の議員達に小冊子が配られていたことを知る。そこには「○=賛成し承認すべき議案 ×=反対し否決すべき議案」として、全議案に○×がつけられている。さらには「選挙の際、これらの方々のお名前をお書き下さい。」との、三役や常議員選挙で指…

青少年健全育成条例改正案

かつて「エロ漫画」と呼ばれつつもふつうにコミック棚で売られていた漫画が、十数年前から「成年コミック」と黄色いマークがつくようになった。山本直樹らが強く反発したのを覚えている。今回も「犯罪抑止」という強気の議論が、多くの人々を納得させようと…

文字と語り

連れ合いはとっくに旧約聖書を読み終えたが、わたしはやっと詩編に入る。ヨブ記は今までと全然違う印象。42:7の、ヨブは「正しく」語ったという神の評価から逆照射され、神の回答はやさしい慰めに聞こえた。今のわたし自身の身の置き所に関係しているのかも…

視聴メモ

『歴史秘話ヒストリア』で光明皇后をやっていた。彼女は天皇制を改め、皇帝制にしようとしていた可能性がある、という説が興味深かった。天皇は神だが、皇帝は人間。だから皇帝であれば仏を信仰する奴(やっこ)として在位することに矛盾が生じないという利…

かすかに覚えていること

もうすぐジョン・レノンが亡くなって30年か。 プレスリーやジョン・ウェインやチャップリンやスティーブ・マックイーンの訃報もおぼろげに覚えてはいるが、ジョンの訃報は衝撃だった。小学生だったので、別にファンだったわけではない。むしろマックイーンの…

教義学を生きる

潜っている臨床牧会の講義で、今日は三位一体について考えるというテーマだった。学生さんがいるのに、なぜかわたしが当てられてしまい、自分なりの三位一体論を展開した。するとさすがは先生、日ごろからのわたしにとっての課題である「どこまでは自分が主…

タレント

身を寄せている教会で、牧師さんがマタイ25:14−30で説教した。一タラントン預かった人は、自分が二タラントン、五タラントン預かった人に“比べて”ちょっぴりしかない、それを失えば主人に怒られる、と考えただろうという話。でも一タラントンだって、六千デ…

古臭さと古典とのあいだに

聖書通読、ネヘミヤ記まで読了。民族とは何かについて考える。 ある研究者が、ユダヤ人との対話のためには、キリスト教の三位一体論は克服されねばならないと語っていた。しかし譲歩してイエスを預言者の一人としたところで、ユダヤ教からそれさえ認めてもら…

引用が自分自身に

今日聖書通読した折、以下の言葉と遭遇。“こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。”(歴代誌下36:21)。荒廃が、それも絶望的荒廃が、ど…