2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ふと、ポロックのアクションペインティングのことを宮川淳が「カルヴァンの予定説的敬虔さ」と表現していたのを思い出した。アクションペインティングは、ポロックの意図と、絵具の飛沫の偶然性との弁証法だ。それが摂理的調和によって作品となる。 神学を学…

無機と有機

安部公房『内なる辺境』を読む。ユダヤ人排斥について“その毒素は、ユダヤ人という外からの侵入者によって持ち込まれたものではなく、じつは本物の国民という「正統神話」自身の内部からにじみ出して来た、おのれの体内の毒だったのだから。”(88頁)。 自ら…

ここに教会があります

キリスト教記者クラブのオフ会に参加。先々月に続いて二回目。今回も面白かった。次回は四月なので、参加できるのはもう今日が最後だろう。前回に続き、インターネットにおける伝道ないしキリスト教的価値観の共有の可能性と問題点について発題があり、質疑…

わたしを見て下さい、に先立つ

主からの呼び掛けに対してアブラハムが「わたしはここにおります」と答える。「ヒンナニー(わたしを見て下さい) 」と。レヴィナスはこの応答が無限を証ししているのだという。レヴィナスは『存在するとは別の仕方で』の注のなかで、証しする(マルチュレオー…

繰り返し猿真似る

本を読んでいて、「これは自分が書いたのか?」という傲慢な思いを抱くほどに「自分の言葉」と出遭うことがある。それは既視感なのだろう。自分がかつて語ったことがある/まさに語ろうとしていた言葉だと。だが事実としては、テクストに出会うまではその言…

選び取るのではなく、目が離せなくなる

自分が聖書について語る場合、聖書という他者に出会っているとも言えるが、聖書へと導いてくれる神学者なり哲学者なりという他者と出会っているとも言える。 もちろん牧師として、可能な限り先入見を排して、人々と御言葉を分かち合いたいと意識している。し…

固有の出会い─名乗りもしない相手についてゆく

前任地時代にお世話になった先生から励ましのお電話を頂く。嬉しく、また、襟を正す思い。これだから方々に手紙や葉書を出すのはやめられぬ。 このままでは溜まるので『カラマーゾフの兄弟』録画を見る。慣れて来たらだんだん面白くなってきた。親父の絵に描…

明るい絶望

録画しておいた『歴史秘話ヒストリア』の空海*1を見る。うーむ。『性霊集』か。欲しい。その本文に触れてみたい。でも値段が・・・・講談社学術文庫あたりで出して欲しいなあ。 それにしてもあの「益田池碑銘(大和州益田池碑銘並序)」という書の空海の文字…

ガス抜き

レヴィナスの倫理って、自己が他者に対して無限に負債を持つという非対称性から出発するんで、それを日常生活に適用しようとするとめちゃくちゃしんどいところがある。たぶんレヴィナス自身が「生き残ってしまった」という無限の負い目を感じていたんだろう…

坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(中)』(岩波文庫)の、ようやく「授学・無学人記品」まで読み終わる。その前の「五百弟子受記品」に出てくる譬えが面白かった。 ある人が友人が泥酔するあいだに、その人の衣の裏に高価な宝を縫い込む。酔いからさめた彼はそ…

自由の風にさらされ

聖公会の司祭の友人と、久しぶりにスカイプ。わたしが最近出会った正教の神父の話をしたら、「お会いしたいなあ」と喜んでくれた。転居までにもう一度ニコライ堂に寄ることがあったら『正教要理』を買って、贈ってあげようと思う。彼の大好きな教父たちから…

聖公会の友人と話していたときに、ニカイア・コンスタンティノポリス信条のFilioque(子からもまた)問題の話題になった。彼が言うには、イギリスにキリスト教を伝えた聖人には東方でも聖人とされている人もいる。聖公会では、正教の方々と礼拝するときはFil…

相手を活かす批判

内田樹『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)読了。他者に対して圧倒的に罪責を持つ自己という、関係性の不均衡から出発する倫理を、レヴィナスと自分とのあいだに師弟という圧倒的な関係性の不均衡を持つ内田が語る、だから面白い本だった。 ボーヴォワー…

コリント、ガラテヤ、エフェソ、・・・・・

『ミニストリー』の濱野道雄「教会のライフサイクルを考える」を興味深く読んだ。前任地で、誌名は忘れたがいのちのことば社の記者から「地方伝道の行き詰まりについて」といったようなテーマで取材を受けたことがあり、そのときに初めて「教会の寿命30年説…

あいだをつなぐ

調べなきゃいけないことがあり、辞書を開いていた。ディアコノスについて。「仕える人」と訳されたり「執事」と訳されたりする言葉。場合によっては料理の給仕だったり。他にもメッセンジャーとか、要するに「あいだをとりなす人」という意味合いらしい。 た…

自分が考えることは、先に誰かが考えてくれている

トマス・ホプコ著、ダヴィド水口優明訳『正教入門シリーズ1 正教要理』(西日本主教教区)を読了。ペリカンの『キリスト教の伝統 2』のなかで複雑に論考されていた東方の教理の歴史を、分かりやすく復習、整理できた。 子なるキリスト、聖霊を被造物とみな…

アイデンティティを死守した人々

呉寿恵『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)読了。「第4章 受難期(1940〜1945)」は改名や日本語の強制、日本基督教会そして日本基督教団への吸収などの、苦難の歴史が語られる。巻末には3・1独立宣言に影響を与え…

たどたどしさが活かされる道もある

さて、今日はふだんと違う教会にて大切なお仕事だ。マタイ4:1−11.自分を神から引き裂く悪魔;ディアボロス(ディアバロー)を、マリアがそうしたように神とともに思い巡らし(シュンバロー)ながら、悔い改めて説教にあたりたい。苦しむ人、泣いている人の…

“キリスト教の信仰は観念的なものではなく、具体的なものです。だからこそ、「隣人を愛しなさい」と主に言われるとき、それは「感情的に好きになりなさい」ということ以上に、「愛する」という行動をとりなさいということなのです。”( 人生を変える聖書の言…

メモ

クリメント神父さまに、「マトフェイ」など正教のギリシャ語発音について教わる。以下はすべて教わった内容。 Θ→教会スラヴ語にthの発音がなく、fと発音。 αι→εと同じ発音 すると「マタイオス」ではなく「マトフェイ」になる。 ギリシャ語の古典再建音はエラ…

以下教文館の『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち』より引用。“1937年以降中国侵略が本格化するにつれ、戦時体制が強化され、神社参拝の強要は集団的に実施された。全ての学生(特にミッション系)に神社参拝を強要し・・・”(142頁) 『在日朝鮮基督教会の…

補足

以下『正教要理』より“しかし、正教会は「身代わり」の概念を用いることには慎重です。ハリストスの救いに人類の身代わりという要素があることは受け入れますが、あまり強調されません。特に「(ハリストスに人間の罪を)背負わせる」という表現には居心地の…

神の母、神性についての覚え書き

『正教要理』を読んでいるが、4世紀前後の神学論争もきちんと、それも一般の信徒が分かるような言葉で書いてある。ペリカンの第1巻、第2巻の復習ないしまとめに、とても助かる。あらためてマリアがテオトコス(生神女/聖母)である意味も再確認。 上山安敏…

先ず隗より始めよ

『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)の第2章 成長期(1925〜1933)まで読む。日本で生まれた子どもたちが母国語を学ぶ場として教会が用いられた様子、幼稚園設立の経緯などを学ぶ。神戸女子神学校など、日本の神学…

解釈を手放す試み

以下、ウ・ジョーティカ『自由への旅』より。“菩薩(ボーディサッタ、ゴータマ・ブッダの前身)の物語をいくつか読んだ時、私は菩薩たちが、完璧な場所に住むことは望まないことに気がつきました。なぜでしょう? 推測するのはとても簡単なことだと思います…

今は戸惑おう

呉寿恵『在日朝鮮基督教会の女性伝道師たち 77人のバイブル・ウーマン』(新教出版社)を読み始める。朝鮮半島における女性の位置づけの歴史が説明してあるところで、ふと思い出した。 ある在日韓国・朝鮮人系の教会に委員会で出かけた時に、女性たちが豪華…

裂け目

下世話なQ&A「洗礼を受けたいのですが、受けられません。どうしたらいいですか?」 わたしも完全に同じ意見ではないけれど、共感。地方教会では長男の嫁とか檀家の家系の関係で、個人の意志に関係なく物理的に洗礼不可能、という方も多くおられる。 わた…

間接性のもどかしさ、ゆたかさ

おととい教文館で買った『ミニストリー』冬号が届いた。特集「学校と教会のあいだ─次世代に何を託すか」に、いろいろ考えさせられた。学校で宗教主事や聖書科の教師として働く側の立場から山本真司氏、嶋田順好氏、磯貝暁成氏が、そして教会専任の牧師の立場…

踊躍歓喜のこころ

連れ合いが気を利かせて、知らぬ間に『親鸞 いまを生きる』(朝日新書)という本を買ってテーブルに置いておいてくれた。姜尚中、田口ランディ、本多弘之の三氏がそれぞれ短い随筆を寄せている。まずは姜尚中の文章を読んだ。『悩む力』『続・悩む力』に書か…

「言葉」それ自体

“一九六〇年代、来日したパウル・ティリッヒという宗教学者が、安田理深先生と対話をしたときに、「私はどうしても宿業というものがわからない」とおっしゃいました。キリスト教では、この私というものは神様がつくったものであり、原罪をもらったと考える。…