2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

挫折

明日は絶対出勤なんだが。喉のガビガビと微熱がとれずやばいんだが。明日休むと積み重ねてきた信用一気にゼロなんだが。 結局、郵便局には明日も休む旨、先ほど連絡。身体のしんどさ、そして不安に負けた。電話の向こうの溜息が、何よりもの裁きだった。 キ…

家庭

医師に処方された薬を飲んでいるが、喉のガビガビが治らない。唾を飲み込むとイテテ。だが、明日は絶対出勤せよとのこと。正月繁忙期の初日だからだ。なにがなんでも回復してやる!!まさに困ったときの神頼み状態で恥ずかしいが、神さまお願いします! 風邪…

隣人に成ってもらう

昨日は結局、午後からの配達中に動けなくなり、19時半頃に早退。残した郵便物は他の人が力強く引き受けてくれた。帰りに駅前の診療所に寄る。座っていられないほど辛い。39度あったので、点滴と坐薬で応急処置。安心のあまり、点滴中に寝てしまい、閉院する…

子どもの頃に切り取っていない。

扁桃腺が痛い。熱でなきゃいいが。明日は郵便物が大量の日、月曜日なのだ。休めないぞ。 扁桃腺がもともと大きく、腫れやすい体質なので、冬は手洗いやうがい、適切な栄養補給、早寝などを励行しているのだけれど。それでもこうして喉がガビガビに痛くなるん…

ゲール

“彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。” 殺人の罪の重荷を、モーセは妻にも話さなかったのではないか。独りで重荷を負う者は、カイン以来、どこに居ようと自らを全体…

目の当たりにしたからといって、見えたとは限らないだろう。

創世記44章。ヨセフの、あるいは湧き上がる憎しみ。あるいは家族への愛。否、昏い憎しみも含めて、そういう汚いものへの揺らぎも含めてこそ、人間の愛というのだろう。聖書はいつも赤裸々な人間に、耳を傾けている。

タウよ

ずっと身につけていたタウ十字架ロザリオの紐が切れた。革紐を買って、「信仰、従順、貞潔」を表す三つ結びを三箇所に作り、上を結んで完成。今度は革だからもうちょっともつだろう。色もそのうち汚れて落ち着くはずだ。 前任地付近に赴任している聖公会の友…

創世記41章まで読む。牢獄のヨセフは、先に釈放された給仕役が自分のことを思い出してくれるのを待つしかない。彼の進退は、すべて他人の意思決定に委ねられたのだ。人生には確かにこのような場面があると、人事を人に頼るしかないわたしは実感する。主に委…

なぜ、「今」響くのか

“〈むかし〉には、〈いにしへ(往にし方)〉─〈行く先〉(〈先行き〉)、〈来し方〉─〈行く末〉というペアに対応してそれと対をなすような未来に関する表現ないし語は存在しない。(中略)〈むかし〉に対立すべき、また現にしばしば対立して使われもする表現…

死の贈り物

もう服も着替え準備は出来ているのだが・・・・しんどくて教会に行く気がしない。明日もまた超重労働かと思うと・・・・・あらためて、郵便局の人たち、というより、あらゆる身体を酷使する職務についておられる方々に深い敬意を、それこそ全身の疲労感とと…

創世記37章。ヨセフは夢見がちなのか鼻持ちならない高慢ちきなのか、あるいはコミュニケーションに問題を抱えていたのか。現代のような意味での教育などなかった時代。ヨセフと兄たちとの赤裸々な衝突に、欲望の鮮やかな姿を見る。 さすがに11時間半ぶっ通し…

営業

“それではユダヤ人が負債として自覚したような現象は我々の生活には存しないかというと、そうでもないのである。我々は己れの行為の悪の自覚を言い現わす時に、「済まない」とか「済まなかった」とか言う。しかるにその同じ言葉を我々は負債に関しても用いて…

和辻は悪がそれ自体として存せず、善の欠如として、我汝の関係において生じることを語るにあたり、ゴーガルテンの名をあげている。(「倫理学(二)」47頁)和辻は「弁証法的神学と国家の倫理」という文書も著しているらしい。読んでみたいなあ。

創世記を32章まで読む。負い目に苛まれるヤコブは、どんな思いで「何者か」と格闘したことだろう。祝福をもぎ取ったときの彼の畏れと喜びはどんなだったろう。いずれにせよ、それはたんなる心理的葛藤などではない。己の足の激痛を経た、実人生における現実…

このところ誤配や書類の記法ミスなど、失敗を頻発。自分の無力さに打ちのめされる。それはいいのだが、お客さんや同僚に迷惑をかけるのが何より辛い。 ところで、朝、課長が「ご苦労様です」旨あいさつし、せっかく気持ちが和んだところで、支店長が「お前ら…

西欧をとおして純和風

和辻哲郎の『倫理学(一)』岩波文庫版を読み終えた。面白かった。以前に九鬼周造の『いきの構造』を読んだときにも感じたことだが、西欧の哲学によって日本の、自分たちの文脈を際立たせるこの見事なテクスト!戦前にこれほどに世界を、そして自分の立つ場…

わたしの文脈

日曜美術館の録画を見た。法然と親鸞にまつわる美術品(というか思想)を、五木寛之が分かりやすく丁寧に説明していた。以前読んだ『歎異抄』を思い出していた。ことに第九条を。 弟子の唯円が、「念仏を唱えても心が躍りません、浄土に行きたいと思いません…

まあいいだろ

礼拝でヨハネによる福音書6:27〜35から、イエスは霊のパンであること、たとえ人は飢えても、死んでさえも霊の糧に生かされるというメッセージを聴いた。皮肉にもわたしは昨日の疲れがとれず礼拝中始終憂鬱で、教会の帰りに食べた天丼によって陽気になるとい…

てまえみそ

和辻哲郎『倫理学』を読んでいると、レヴィナス『神・死・時間』をどうしても思い出す。他者へと曝され、他者へと明け渡されることにおいてのみあるような個人。ハイデガーを批判的に継承したレヴィナスのこうした側面を、和辻は仏教的な「空」とヘーゲル哲…

選ばれなくとも

“エサウは、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないことを知って、イシュマエルのところへ行き、…”創世記28:8以下 ある意味で選外の者となったイシュマエルとエサウ。彼らはどんな会話を交わしたのか。老イシュマエルはエサウに、自身を見出しただろう。エ…

おさめる

エサウは空腹から逃れようと、神から与えられた長子権を後回しにする。分かる、とくに寝不足かつこんな雨の日の出勤時は。目の前の苦痛を避けることに夢中になりませんように。むしろわたしをじっくり苦しめて下さり、あなたの権威をお示し下さい。 雨が降る…

世俗的に神を

“どうぞお飲みください、らくだにも水をくんであげましょう、と彼女が答えましたなら、その娘こそ、主が主人の息子のためにお決めになった方であるといたします。”創世記24:44 アブラハムの僕はアブラハムのように、神から直接語りかけられることはない。け…

聞こえてるさ

創世記を21章まで読む。ハガルとイシュマエルって不遇だけど、イシュマエルって「神は聞かれる」て意味なんだなあ。ヒブル語の文法なんて忘れてしまったけど、「聞かれた」か「聞かれるだろう」かもしれないけど。 3時間残業して晩飯食って一息ついたら、も…

ただしい

“正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。”創世記18:25なぜ無差別に死ぬのか、殺されるの…

いいものはのこる

スターリンの「アクマデ憐レム歌」を聴いていると、パンクは演奏テクじゃなく勢い、みたいな言説の嘘が聴こえる。トップクラスに垢抜けたグルーヴ。 売上貢献のために、母親にも年賀状を買ってもらっていた。渡すためにとある駅で落ち合う。母も教会帰りで、…

わき

“すなわち歩行者は目前の事象に気を取られて目的の場所のことを全然考えていなくてもよい。それでも彼の歩行の仕方は‘あらかじめすでに’決定せられている。かかる‘あらかじめすでに’は歩行者の現前の意識を超えて彼の存在の仕方としての意義を持つのである。…

ザ・スターリンはレコードしか持ってないので、ニコ動でがまん。戸川純とか、みんな早く段ボール箱から解放したい。反ったりカビてなきゃいいがな。すべては任地が与えられれば、の話。

休暇のつぶやき2

このあいだ母教会、日本基督教団とは違う福音派の教会に久しぶりに出席して、信徒の証しや配布物に触れて、大きな刺激を受けた。ストレートに主の奇跡を信じ、熱く語る。それも日常的な言葉で語る。神学の難しい言葉で複雑に言いまわす傾向があるわたしには…

休暇のつぶやき1

和辻哲郎の『倫理学』を読んでいて、つくづく人間は個人であるのとまったく同時にあいだがらの存在、他者たちとの関係のなかでこそ(のみ)成立する存在者なのだと実感する。他者から名指されてこそ、その人はその人としての自覚を覚える。 アウグスティヌス…

今日もしこたま叱られたなあ。この仕事のいいところは、叱られるとき言い訳を考えなくていいことだ。どうせ聞いちゃもらえないんだから。 “良い子の諸君! 信じるものがすくわれるのは 足元だけなのだという事を肝に銘じておけ! ”ネット上で発見。