2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

体験への狭まり、体験への広がり

「いのフェス」いのり☆フェスティバル 教会・団体・企業・学校・サークル・個人のためのフリーマーケット 『いのフェス』に行って来た。それぞれのブースが工夫を凝らした出店をしており、買い物をしながらブースの人と意見を交わしたり、楽しかった。 そし…

追記

岡田斗司夫氏が、鼎談のなかで自身の母親について語っていた。お祈り中よそ見をしただけで怒られるほど厳しい、氏曰く“原理主義的な”教会に、かつて母親が通っていたと。過去形で語っていたので、それは一時的な熱狂だったのだろう。そんな母親のイメージが…

名脇役

ハンバーグを作るのに、パン粉を切らしていることに気付き、小麦粉や天ぷら粉でごまかす。見かけはまったく同じようなものが焼けてきたが、串で刺しても肉汁が出ぬ。皿に盛って食したところ、まさにお好み焼きの歯ごたえ。やっぱりパン粉はだてではなかった。

絶対これしかない。そう信じるからこそ、あれにも通じる。

書斎で読書中。窓を開けているので、とおくから神輿の祭り囃子と拍子木の音が聴こえてくる。窓外を見上げれば天高くうろこ雲。連れ合いのおみやげのおはぎの後味。 小田垣雅也著、『一緒なのにひとり』、LITHON、2004を読了。最後の方で、臓器移植に反対の立…

同人誌の熱気

「イエスに妻」?初の文献 米の歴史学者が解読 :日本経済新聞 コプト語の4世紀のパピルスが発見され、そこにイエスの妻について若干言及されていたという。面白い。ふと、アニメや漫画のファンによる同人誌の作成や購読に通じるような想像力を感じた。そのよ…

大胆な読み(こみ?)

本田哲郎『聖書を発見する』を読む。もうすぐ読み終わる。ガツーンとやられることの連続。マルコ福音書で、1:10−11において天が裂けて聖霊が降りてくる。逆に15:37−39では、神殿のたれ幕が裂けて、十字架のイエスが息を引き取る、すなわち彼の口から霊が吐…

新約聖書内部に教理史を観る

スヒレベーク『イエス(第二巻)』第三部第一篇第一章まで読んだ。それぞれの福音書の神学的関心の違い、また、パウロの違いなどが網羅されていて面白かった。とくにマルコとQ資料においては、復活は再臨の基礎ではあっても、復活それ自体は関心の外にあり…

他人に苛立つときこそ、他者の現実性を味わうとき

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120920/waf12092007000000-n1.htm どこまでがマナーで、どこからが思想なのか。 国歌不起立問題で、いぜんある牧師が話していたことを思い出す。彼がやや強く主張したのは、聖餐式において聖餐を拒否する信…

滅多に語り得ぬゆえに

小林秀雄の「実朝」を読んでいたら、源実朝の次のような二首に出遭う。 “神といひ仏といふも世の中の人のこゝろのほかのものかは” “塔をくみ堂をつくるも人のなげき懺悔(さんげ)にまさる功徳やはある” 小林は実朝について、“彼の性格についても深入りはし…

だれもが「そうだ」ということをさらに「そうだ」と納得してもらうこと。

原発に関する、ある議論を見て感じた。原発に否ということを、リアリティを含めて相手に伝えるのは、戦争反対と同じくらい難しいと。 遠回りな譬えだが、ベートーヴェンはいいと言って「センス悪いな」と言われることは滅多にない。「戦争反対」や「原発反対…

しかし狭くしか見ることができないのだった。

吉田茂のNHKのドラマを見ていた。鳩山一郎が「友愛」を語っていて、なるほど父の代からか、と、ちょっと可笑しかった。相変わらずよくできたドラマだと思って観ていたが、気になるシーンもあった。 劇中、女性が米兵に売春している場面があって、吉田の秘…

解釈は思い込みなのか

午前中にスヒレベーク『イエス(第二巻)』を読んでいた。スヒレベークによると、聖書学の研究成果などから、ペトロに最初のイエス復活体験が起こり、彼が残りの弟子たちをもう一度呼び集めて、次第に復活体験がシェアされる、ないし他の弟子たちにも起こっ…

這いつくばる低さで、横たわる人に耳傾けて

「キリスト教雑誌の生きる道」というタイトルの、平野克己氏(雑誌『Ministry』)と藤掛明氏(雑誌『牧会ジャーナル』)がパネラーのミニシンポジウムに出席した。平野氏が語る「対話のテーブル」、そして藤掛氏の牧師や牧会への心理学的アプローチの取り組み…

説教雑感

いろいろなことでお世話になっている先生が、「君の説教は、接続詞をきちんと入れるよう注意すると、格段に分かりやすくなるよ」と言って下さった。嬉しい!昔、別の尊敬する先生に「気味の説教は面白い。もっと短くすれば、さらにいい。」と言って頂いたこ…

小物も小物

少しずつでも、事態が好転することを願おう。とてつもないような大逆転や劇的な転回といったものは、空想の世界に任せておけばよい。 負のスパイラルに長く居ると、新しいことに挑戦する意欲も減退し、さらに保守的になり、ありもしない「好条件」に固執し、…

認めたくなくても、しかしそうなのだということ。

残暑の台所で、冷たい無花果にかぶりつく。イエスを拒み、怒れる彼に呪われ枯らされてしまった無花果は、もしもなっていればどんな味がしたのだろうと考えつつ。 “これが、イエスの怒りではないとすれば、いったい何なのでしょうか。イエスは怒るべきときに…

昨日、精神に重荷を負われた方と面談。幻聴や幻覚の内容は、傾聴するとかえって相手の症状を悪化させる恐れもあると聞いたことがある。かといってあからさまに遮断もできないので、ある程度は聴く。 十字架が重すぎて、という一言。幻覚幻聴で片付けてもよい…

時間の密度

ふだんしょーもないことをぶつぶつ考えてしまうだけに、日曜日活発に働かせて頂くと、じつに癒される心地がする。毎週学ばせて頂くことも多い。 郵便配達をしていたときも、働いているまさにその時は正確さと能率に全神経を集中していたのであって、つまらぬ…

連れ合いがポール・ギャリコの文庫を買っていた。訳者が矢川澄子だったので驚いた。 うたた寝して、へんな夢を見た。ギャングが大量の拳銃やライフルを買うのだが、わたしが「それ、みんな中国の模造品ですよ」と指摘すると「えーそんな!」とがっかりする夢…

創造的な「読み込み」もあるんじゃないだろうか。

“「さあ、へりくだって、貧しい者、小さい者になろう」という、これほど偽善的で思い上がった考えはない。冗談ではありません。教会が日常的にうながすこのような考えこそが、現に貧しく小さくされている仲間たちをどれほど傷つけ、侮辱しているか、気づくべ…

気が小さい

安室奈美恵と板野友美が似ていると内心思いつつ、そんなことを言えば若い娘の顔の区別のつかないオッサン丸出しやんけと言葉にできずにいたが、勇気をもってインターネットで検索してみたところ、意外に同じことを思っている人も多かったので、安心した。 小…

二つの遺影

昨夜はよく眠れず。諦めて起きて、早めの朝食をとる。パンをほおばりながら、食卓に二つ並んだ遺影が目に入る。こうやって咀嚼していること、ジャムの甘さ、呑み込んでゆくのどごし、呼吸、すべては、わずかな先には失われるかもしれない。遺影とわたしの命…

信仰の粋

ある楽しみにしていたイベントがあり、しかしやはり優先してやらねばならぬこともあり、イベントは第二希望に格下げ。連れ合いが言う「あんなに行きたがっていたのに、いいの?」。 「いや、いい。十分他のことで満足してるし、贅沢言っちゃきりがない。」。…

悩むこと、煩うこと

マタイによる福音書6:25−34*1のイエスの言葉について、小田垣雅也は次のように語る。 “空の鳥や野の花が引き合いにだされるのは、そういう文脈であろう。彼らにはそのような慮りがない。率直に鳥であり、率直に花だ。「ばらは何ゆえに咲く。何故なし」(シ…

放り出し、寝そべれる玄関

お世話になっている先生がツイッター上で、マタイによる福音書15:29-30を引用しておられる。“大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれら…

自己愛の絡みつき

今日一日、どうやって耐えようか。もうだんだんしんどくなってきた。 人生は勝ち負けじゃないと、クリスチャンホームで育った人によく励まされるが、自分は勝ち負けの価値観のなかで生い育った「ぽっと出」なので、これがまた体感できない。悟れない。どうし…

対話についての覚え書き

ツイッター上で、外交問題とか歴史問題とかで、意見の異なる相手に執拗に絡んで「勝つ」まで止めない人がいるけれども、明らかにフォロー関係にない人だと思われる。その場合、テーマで検索をかけて、該当する相手に手当たり次第に反論を仕掛けているのだろ…

「子ども」との遭遇

小田垣雅也の『一緒なのにひとり』と本田哲郎の『聖書を発見する』を同時進行で読んでいると、ちょうど同じ聖書箇所を用いて、お互い正反対とも思われるようなメッセージを発しているのに遭遇。マルコ9:37“わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入…

繰り返し回顧され、ゆたかになる体験

スヒレベークの『イエス(第二巻)』のなかで、パウロの回心についての使徒言行録9章、22章、26章に出てくる表現の比較ないし発展が詳細に分析されていた。とても面白い。復活のイエスの顕現体験が、客観的な観察記録といったものではないということを、見事…

へり「くだら」ない

無任所になってこの季節を迎えるのは3度目。いつも微妙な気分になってくる。「安心」が欲しいなあ。他には何も要らない。 本田哲郎著、『聖書を発見する』、岩波書店、2010を読んでいる。あらためて、神学は中立という意味での客観的などではあり得ず、決断…