2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

絵空事。でも。

建国記念日についての議論をタイムラインで拝読。前任地で行われた集会のことを思い出していた。靖国神社や米軍基地の問題に深く関わられた牧師さんを、講師にお呼びしたことがあった。彼はあるエピソードを語った。若い頃、一所懸命に靖国と戦前との関係を…

信仰と信じる人と

今日はツイッターで知り合った人たち3人と現実に食事をした。クリメント神父さまにお会いした時もそうだったが、やっぱり顔を合わせて語り合うのがいちばんだと痛感。ツイッターという媒体をとおして、このような出会いを与えて頂いたことを主に感謝。ニー仏…

保守について

ベネディクト16世は「保守的」であったとは思う。著作においても。けれどもその「保守的」であること、つまり使徒・教父時代を顧みる徹底した姿勢から書き記されたいくつかの著作は、結果的にプロテスタントのわたしにもゆたかな示唆を与える「エキュメニカ…

教皇の退位

ベネディクト16世退位するんだなあ。彼の『キリスト教入門』はわたしにとっては入門どころじゃない神学書で、ブルトマンらの非神話化神学を批判的に超克する試みが、膨大な資料の参照によって検証されていた良書だった。プロテスタントへの敬意も強く感じら…

郵便受けに、女神を信奉する宗教団体のチラシが。難しい漢字を並べた名前の女神。で、チラシ自体はイエス・キリストの顔がバーンとあり、イエスがその女神に宛てて「すんません、メシアと呼ばれるのはずっと辛かったんです、わたしは未熟です、どうかあなた…

発話の醍醐味

洗礼を受けてまだそんなに経たなかった頃、無神論の友人が「おれは地獄に行きたいな」と言う。理由を訊くと、「ジョン・レノンや澁澤龍彦や、面白そうな連中はみんな地獄に堕ちたんやろ?冗談もろくに通じない退屈で糞真面目な奴しかいない天国より、よっぽ…

やわらかいおなか

わたしが「人殺しはよくない」と言ってみる。それだけでは発言の可能性に留まっているだけで、何も言ったことにはならない。相手は「そうだね(それで?)」でおしまい。わたしが「○○事件における、君の発言の××な部分について、わたしには異議がある」と言…

他人を測定するのでなく

以下トマス・ホプコ『正教要理』より。“正教の神学によれば、神の像を得ることは、造られざる神の像であるハリストスに似るということであり、神の神°的な属性のすべてにあずかるということです。聖師父たちの言葉によれば、神の像を得るということは、私た…

驚きとしての「予定」

アウグスティヌスの予定説に関するツイートがタイムラインにあったので、考えていた。阪神淡路大震災で、中学のクラスメイトが亡くなった。彼はすごく貧しく苦労していた。わたしは牧師に尋ねた。なぜ彼のような人間が、苦労の末に亡くならねばならなかった…

久しぶりにハンバーグを焼いた。やっぱりパン粉でないと、と実感。こないだパン粉が無くて、小麦粉で代用したところ、むっちり重い焼き上がりで不味かった。パン粉だからふんわりする。 ムニエルを焼こうとして小麦粉が無くて、片栗粉をはたいたことも。あれ…

“「死は、それが「存在する」限りでは本質的につねに私のものなのである」 ハイデガー 『存在と時間』”(死の名言bot) ハイデガーは、死は誰にも代わりに死んでもらえないと、死の代替や体験の不可能性を語ったけど、和辻哲郎は『倫理学』のなかで、そんな…

わたしにとって「なぜあなたはキリスト教を信じているんですか」という質問は、よく言われる譬えではあるけれど、やっぱり「あなたはこの女性のどこが気に入ったんですか」という質問に限りなく近いように感じられる。つまり、自分が把握可能な意味での「な…

言語ゲームのルールの運用について考えようとすると、必然的に何を話し合っているかの「何を」についてではなく、「いかに」「あなたはどのような文脈で」「わたしはこのような文脈で」という論点に意識が集中する。しかし「何を」に深くコミットしている人…

ツイッターあれこれ

直感的な批判が的を得ることも、あるにはある。けれどもその批判を発展的に、ないし生産的に相手と分かち合うためには、批判対象に対しての敬意を、「相手から学ぶ」という現実の行為によって表さねばならないだろう。相手から勉強させてもらうほどに自己の…

まるで死生学

タイムラインにザビエルの話題がよく出てくるので、河野純徳訳『聖フランシスコザビエル全書簡』(平凡社)を開いてみた。こんな手紙が。ポルトガル国王ジョアン三世宛。“主なる神がその無限のご慈愛と慈しみとをもって、陛下の御心のうちに神の聖旨を感じさ…

「絵空事」においてこそ

矢川澄子『兎とよばれた女』、薄っぺらいのにやけに読むのに時間がかかった。しんどいので避けてたんだろうな。登場人物に澁澤龍彦や谷川雁があまりにも見えてしまい、もはやファンタジーとしては読みにくい。澁澤になんども堕胎を強要された矢川の痛みの消…

同情なのか共感なのか

さきほどある方とツイートしていてあらためて認識したこと。発話と発話者の人格とを分けることの難しさ、ないし、発話から人格を抽出することの難しさ。たとえば何か自分にとって手厳しい反論があった場合に、その発話そのものに応えるのか、それとも発話の…

でも不思議だなあ。ジャジューカ聴いても、シタールの演奏聴いても、もう「ロック」のイメージから逃れられない。結局、ジョージ・ハリスンとかブライアン・ジョーンズの「耳」を通してしか聴けないんだろうな。文脈移植の妙。

「どこ」に限定され、しかもどこにも限定されぬ

“被造物のなかに神が遍在する事実、私たち自身が神に向かって、神のうちに存在するという事実は、詩篇139・・・”(『正教要理』)これなんだよなあ。小田垣雅也読んでいて再発見した、内在と超越の弁証法的関係。 超越を強調する弁証法神学はほんとうに大き…

『マギ』アニメ見てるんだけどおもしろいなあ。あれだけ死生観をはっきりゴールデンタイムのアニメで打ち出しているってのが興味深い。死者がその個別の記憶を留めつつも、より大きな「命全体」みたいなものへと還ってゆく、というような。それ自体は既存の…

正教から学びつつ

トマス・ホプコ著、ダヴィド水口優明訳『正教要理』(西日本主教区)を読んでいる。正教がギリシャ哲学者のなかにも信仰の先駆者を認めていることや、書かれた言葉だけではない、行為として伝承される礼拝形態そのものを聖伝として大切にしていることなどを…

(予言者か、預言者か、の議論で)翻訳っておもしろいなあ。ある文化で息づいている言葉を、別の文化の言葉へと移植するんだけれど、しかも別の言葉に置き換わって、別の文脈へと移されているのだから、そこには「移す人」すなわち言葉を受け取り訳す人の主体…

彼らは熱く求めた

浄土宗の僧、池口龍法さんとサムさんによるニコ生放送を観た。面白かった。浄土宗をメソジスト、浄土真宗を改革派にたとえるサムさんの解釈も印象的だった。たしかに柳宗悦も、浄土真宗が浄土宗よりもさらに他力による救済を強調したようなことを書いていた…

行為を言葉にする 言葉によって行為する

今回ペリカンを読んであらためて思ったのは、橋爪大三郎・大澤真幸著、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)のような、キリスト教を「ぜんぶ概念で」説明しようという試みには、限界があるということだった。むしろ八木谷涼子著、『なんでもわかるキリ…

行為する正教

“東方のキリスト教定義とアウグスティヌス的な定義との分岐は、この神化の教理との関連で表面化した。なぜなら、シメオンはアダムの堕落とその悲惨な結果について詳細に語ってはいたが、それ以後の世代に対するその堕落の結果はアダムの罪を繰り返すことと結…

肯定を超え、否定を超える神

ペリカン『キリスト教の伝統 2』も終盤に。15世紀以降の正教の発展。やっとグレゴリオス・パラマスが出てきた。否定神学だけれども、ただ否定するのではない。神が無限で不可知なだけなら、そもそも人間は神など知りもしない。そうではなく、神は不可知をも…

ある方と「百合」の話で盛り上がった。男が百合の話をすると、すぐ性的な興味か、で済まされてしまうのだが、どうもそれだけではないらしい。わたしが矢川澄子にこだわるのも、結局は「少女とは何なのか」、これに尽きる。その場合の「少女」は「年齢の若い…

負い目が本気を捻り出した

NHKスペシャル 録画しておいたNHKスペシャルの、キャパの特集を観た。有名な『崩れ落ちる兵士』は、兵士が訓練中に転んだ瞬間を撮影したもので、しかも撮影者は彼の恋人のゲルダ・タローだった、という結論(あくまで「有力な推論」)。 実は戦死ではなく…

教典の肌ざわり

(創世記の自然理解が人間の自然支配を肯定し、結果的に自然破壊を生じさせた、との解釈を読んで)そのような聖書解釈はもっともだ。たぶん自然破壊の歴史に、そういう聖書解釈が大きく「貢献」してしまった。だから最近は、創世記1章だけでなく、2章の可能…

ディアボロスといえば、そのまんまのタイトルの映画があったのを思い出した。どんな犯罪者でも無罪にしてしまう超有能な弁護士に、純粋な弁護士がだんだん感化されてゆくのだが、実は彼はディアボロスだったと。エンディングでローリング・ストーンズの『悪…