2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

納棺式の補佐をさせていただいてきた。大きな教会で働かせてもらっていると、前任地では考えられなかった頻度で、葬儀のお手伝いをさせていただくことになる。 最近、私的なことで心がざわつき、明日自身が思い煩うべきことを今日思い煩っていた。しかし、一…

低気圧が通過すると、なぜか血圧も下がることがある。もうれつな眠気と、立ちくらみのような、めまいのような。今日は測っていないが、最高血圧が100を切ると、やはりしんどい。で、だいぶ回復した後、風呂上がりに飲む牛乳のうまさよ。 子どもの頃は、お互…

連れ合いと田端へ散歩に出かけて、10年ごしに買おう買おうと延ばしていた森茉莉「甘い蜜の部屋」を買った。芥川龍之介が住んでいたらしい田端は、歩いて10分程度なのでよく散歩する。正岡子規の葬られた寺もあるらしい。また行ってみるか。 前任地時代に図書…

そりゃ、理解できるんならそれにこしたことはないけれど

4巻まで読んで休憩中だった講談社学術文庫『正法眼蔵』の5巻を読み始めた。ぜんぶで8巻もあるから、気が遠くなる。でも、何年かかけて、少しずつ読みたい。相変わらず難解な本文と訳文はほとんど理解できないが、古典を愉しむ秘訣は「理解」に固執しないこと…

矛盾もまた味わいなり

E・スヒレベーク著、ヴィンセンテ・アリバス・塩谷惇子訳『イエス 一人の生ける者の物語(第一巻)』、新世社、2003を第一部第一篇まで読んだ。だんだん論者の言いたいことの輪郭が分かってきて、面白くなってきた。ぜんぶで三巻もあるので、まだまだ先は長…

人間的に「すぎない」のか

ペリカンで復習。イエスを被造物とする異端について。アレイオス→ロゴスが被造物。ネストリオス→ロゴスはホモウシオス(同一本質/実体)。ただしイエスの「なかの」ロゴスのみを礼拝。だいたいこんな感じに理解していいのだろうか。 マルキオンなどのグノー…

真理への態度

E・スヒレベーク著、ヴィンセンテ・アリバス・塩谷惇子訳、『イエス 一人の生ける者の物語(第一巻)』、新世社、2003を読み始める。分厚い本が、全部で三巻もある。まだペリカンの1巻も読み終えていないのに、何に手をつけているんだとも思う。(組織?)神…

肉の客観

室生犀星「われはうたえども やぶれかぶれ」読了。ターミナルケアやインフォームドコンセントなど存在しなかった時代に、しかし精一杯自己自身の「からだ」に向き合う飄々とした作家の姿。そして、彼の目をとおして、これまた当時の限界のなかで精いっぱい患…

三位一体?呪文じゃないよ。

ヨゼフ・ラツィンガー著、里野泰昭訳、『イエス・キリストの神 三位一体の神についての省察』、春秋社、2011を読了。ペリカンの議論に少々疲れていた身にとっては、考えを整理するのにきわめて助かる良書だった。里野の解説もすばらしい。 ようするに「三位…

還元されつつ析出する美

室生犀星の「われはうたえども やぶれかぶれ」を読んでいる。軽井沢で具合が悪くなり、入院し、コバルト放射治療を受けているくだりまで読んだ。尿が出ないことの苦しさ、咳、コバルト放射の辛さ。そして病院で、いわば犀星ではない無名無力の患者一名に還元…

夜更かししているあいだに、40歳になった。とうとうボンヘッファーより年上になり、ジョン・レノンの最期と同い年になった。時代背景が違うとはいえ、彼らの遺した言動から想像する精神年齢にくらべ、はるかに幼い我を思う。

ゴーレム

“それ以上にわたしたち現代人の心を脅かしているのは神の不在​の感情です。何百年もの昔から伝えられてきたユダヤの物語は、こ​のことを的確に表現しています。その物語によれば、預言者エレミ​ヤは彼の息子と一緒に言葉や字母を組み合わせて、ほんものの生…

関係性から切り離さず

アウグスティヌスの『三位一体』をちびちび読む。いったい何年かかって読んでるねん、と。 ろうそくと炎と光のたとえも面白かったが、今読んでいる、精神と知識と愛のたとえも面白い。言葉としても、機能としても、精神、知識、愛それぞれに違っているわけだ…

三位一体論が気になるので、読みかけで中座していたアウグスティヌスの『三位一体』(泉治典訳)を久しぶりに開く。“私たちは、他人が生きていることを私たちに知らせる身体の運動を、私たちとの類似にもとづいて知るのであり、私たちも生きつつ、他人が身体…

ギリシャ

古典主義〜ロマン主義の幕開けに貢献したヴィンケルマン。その死に方も、どこかパゾリーニのようなイメージを連想させ、ノヴァーリスやシュレーゲルを学んだ頃に憧れたものだった。しかしNHKの大英博物館の番組を観て、その暗い部分も知った。そして、ある意…

ブレーキとしての教義

ペリカン『キリスト教の伝統』のニカイア公会議以降のあたりを読んでいるけれど、とにかく難しい。三位一体論という教義が、どれほどの苦労を重ねて築き上げられたかが伺える。三人の神々になる危険と、一人の神でイエスは従属になる危険と。さらに聖霊は神…

教理から聴きとるもの

“イエス・キリストを単純に神と呼ぶことは、ある種のキリスト教的な意味を持つと言うことができた。しかし、その呼び方が信仰から教えに移行された時には大きな困難が生じたし、教えから信仰告白へと移行された時には、いっそう大きな困難が生じた。ひざまず…

人間的に生きる人間

関口康著「カルヴァンにおける人間的なるものの評価」(アジア・カルヴァン学会日本支部編・久米あつみ監修『新たな一歩を カルヴァン生誕500年記念論集』キリスト新聞社、2009)を読む。この論文のラストをたまたま立ち読みして買った本だったが、今日著者…

仮想が現実と交わるとき

Twitterをとおして知り合った牧師の方と、今日初めて実際にお会いした。祈祷会だったので、活発で陽気な教会の人々の様子も見ることができた。彼の言説が現実を反映したものであり、同時に現実を生み出しているものでもあることを実感できた。恵まれた時間を…

体験すること、考えること

今週録画した『平清盛』は、まだ観ていない。早く観たい。朝廷での駆け引きの解釈など、じつにおもしろいと思う。思えば、高校生の頃に古文で『源氏物語』と『枕草子』、それに『平家物語』に触れて、それぞれの人間の「眼」とでも言おうか、それが今でも生…

葬儀に学ぶ

昨日は葬儀があった。今日の正午に出棺予定。みんなが帰った後で、棺の安置されている礼拝堂の明かりを消し、その同じ建物で寝起きするというのは、なにか厳粛な気持ちにさせてくれる。 今回、たまたま、いつもと違う葬儀の業者だった。もともと公務員だった…

ソウタイテキ

友人とチャットしていて、友人が家を出て行った頃のことを久しぶりに思い出した。彼に誘われて教会に行くようになったのだが、彼は「すべての価値観は相対的なものに過ぎない。おれは家を出る。」と言い放った。自分自身子どもながらわたしは「子どもの大言…

対象自身

録画しておいた『日曜美術館』の礒江毅の回を観る。 徹底的に写実を究める礒江が、50代で癌で亡くなるまで、対象を見つめ、対象から与えられ、対象の朽ちゆくさま、すなわち自己自身の死を見つめ続けた様子が、丁寧に編集された番組構成であった。 偶然なの…