GODISNOWHERE

 ある若いお坊さんが教えてくれたGODISNOWHEREという古い英語を思い出す。それはGod is now hereともGod is nowhereとも解釈できるらしい。今、『正法眼蔵』を読んでいて感じるのは、神学においては前者か後者かどちらかを取らねばならぬ、ということになるかもしれないが、禅においてはおそらくどちらも同時に成立するのだろう、ということだ。それは論理を究めることから逃げることではない。矛盾は苦しいことに変わりない。しかし苦しいにも関わらず、それでよいのだと立ち止まること。「どちらでもよい」のではなくて、「どちらもよい」のだ。