あそび

 クリーニングに夫婦あわせて1万円近くかかった。まあそのお陰でお気に入りの衣類たちが10年選手になるのだと思えば。
 昔、古い家の前を通ったときに、猫たちが昼寝をしていた。その居並ぶなかに、狸が一匹、何食わぬ顔で寝そべっていた。猫たちには彼(彼女)は猫にしか見えていなかったのであろう。猫たちは狸に化かされていたわけだ。
 連れ合いに、昔わたしのお祖母さんが狐に化かされた話をしていて、そのことを思い出した。御影あたりも川沿いは鬱蒼と森が繁り、馴れた道でも迷うこともあったのだろう。
 “この聖書(よいほん)のことばを/うちがわからみいりたいものだ/ひとつひとつのことばを/わたしのからだの手や足や/鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ/ことばのうちがわへはいりこみたい”八木重吉
 “十字架は 悔いへのくさびである/罪ふかくして悔いを完うし得ぬ者へのめぐみである/何人でも仰ぎさえすれば救わるるという約束である/基督を見し者が信じたる福音である”八木重吉「十字架」
 久しぶりに連れ合いに八木の詩を見せて貰う。大正時代の抜群のツイート。
 久しぶりにクラブに来たなあ。こんなに音大きかったんだな。
 からだに響く大音響のなかで感じる静寂。忘れてたなあ。
 コーランないし東方の教会のような音楽に、皆がマニピュレーターブースの方を向いてからだを揺らしているのを見ると、神秘主義の礼拝のようでもある。
 土曜日の晩にクラブで楽しむ。復職したら絶対無理であろう。懐かしい人々と再会して、学生時代の空気を味わえた。愛すべき人々に、そしてこの人々、この音楽に出会わせて下さった神に感謝。