肉のあわいの霊

 鷲田清一『感覚の幽い風景』(中央公論社)、半分ほど読んだ。ヴィトゲンシュタインメルロ=ポンティを学生時代に読んだときの新鮮な感覚。最近なら野屋茂樹に再考させられた視野。
 極論すれば「観念」や「心」の不在。リアルな肉体の蠕動と摩擦、そこにこそ心なり感覚なり、世界との関わりが開けること。肉体と分離できるタマシイやイミの無意味。
 残業の超勤つかないと、まじ疲れる。