空気を読めず、距離を取れず

誰かを目の当たりにして、はらわたがちぎれるほど憐れんだり、馬がいななくような激情にかられたりするイエス・キリストは、看護やカウンセリングや、牧会はできない。看護師が患者の感情に究極に共感してしまえば、燃え尽きる。職務として他者に適切に寄り添うために必要な距離がある。しかしイエスにそれはない。
エスは燃え尽きる危険も顧みず、完全に相手を受け容れ、自己を晒し尽くす。距離がゼロになるほど、相手にぴったり寄り添う。十字架の敗れを被るリスクを知りながらも目の前の人間の苦しみに突入せずにいられない、愚かな神の子。そんな彼を神が決して見棄てず、死から起こしたことを、わたしは信じる。
わたしの愚かさ馬鹿馬鹿しさに最後までつきあってくれる、距離感ゼロ、空気のまったく読めない神の子を、わたしは信じる。わたしも這いつくばり死ぬ日が来るだろう。しかし、この起き上がった元死人、死の苦しみを知る復活者に、倒れ腐ったわたしもまた、必ず起こしてもらえるであろうことを信じる。