逆-帰省

 前任地の男性幼稚園教諭が結婚。招待状を貰っていて、行くか行かないかさんざん悩んだ挙句、元気になった連れ合いと出席。連れ合いは入院という不本意な仕方でこの土地を去ったいきさつもあったし、ちょうどよい区切りとなった。わたしたちが会場に着いたときに、人々が驚き、どよめいた。そりゃそうだろう。辞任のいきさつを知っている人たちは、わたし達がここに来ることができるほど回復するなど思ってもみなかっただろうから。子どもたちは相変わらず「えんちょーせんせー!」。もう園長じゃないんだけどな。
 近隣教会の元同僚(今はむしろ友だち)、さらに連れ合い同士が友人関係にある別の元同僚とも交流。こういう場所で再会すると、気持ちは現役モード。「やあ久しぶり懐かしいね」などと世間話で終わるはずもなく。召命とは何か。信仰において何かを確信するとは何か。そもそも確信はあり得るのか、などなど。議論は尽きず。
 一方はカルト救出の現場から、確信というものの危うさを知っている。他方は牧会の現場から、救いのリアリティからぶれないことに賭けている。双方から、双方の立場において、今のわたしの曖昧さについて様々に問題提起を投げかけてくる。実にスリリングで刺激に満ちた時間だった。一方連れ合いはすっかり気持ちの整理がついたのか、和やかな時間を過ごしていたようだ。
 前回の帰り夜行バスは、それこそ辞任〜引越しのドタバタで疲れ果て、すぐに眠ってしまった。今回の夜行では、しっかりと前任地の夜景を見届け、余韻を愉しんだ。