組織に生きる

 『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム』を観ていた。とくに中間管理職的立場にある軍部官僚の優柔不断さが、現代的に再解釈されていた。
 身につまされるものがあった。たとえば、あくまでたとえばの話だが、自分の将来の進退がまったく他人の手に委ねられているといったような場合があるとする。その「他人」なる人物と面と向うとき、わたしは一切の媚びを捨てられるのか。また、ほんとうに言いたいことがあったとして、それが相手を不快にするとはっきり分かっている場合に、それでも言えるのか。たとえばの話だが、それが相手のわたしに対する心証を悪化させ、わたしの進退にきわめて悪い影響を及ぼす可能性があったとしても、それでも相手と「対話」が出来るのか。
 これはすべてたとえばの話である。しかしこれは究極の問題でもある。わたしの主人はわたしなのか、それともその「他人」なのか。どちらでもないはずだ。わたしの主人は、ただ主お一人のはずだ。