もうひとつの

 今日で父が倒れて7年。前日震災ウォークで災害医療センターまで闊歩していたが、翌日そのセンターに救急車で運ばれたのだった。人間はこんなに脆いのかと痛感させられたものだった。
 以降父は麻痺した言語や右半身のリハビリに励み、わたしは任地に赴任するまでのあいだ、母を助けるためひたすら料理を覚えた。窮鼠猫を噛むというか、インスタントラーメンしかできなかったのが、赴任する頃には煮物や汁物や魚料理、ハンバーグやロールキャベツなど「母の味」をマスターした。
 父にとって言語も右半身も自分のものでありながら他者である。倒れた当時の、父がわたしの言葉もテレビも新聞も理解できるのに、語れず書けず文字を指差しもできないというあの不思議さをわたしは忘れることができない。理解と表現とのあいだの深い溝。
 しかし7年経って、そんな父と、たどたどしくも楽しく電話で話すことができる。人間は脆い。だが人間は強い。人間は、弱さを誇ることができる。誇ることがゆるされているから、恢復への道を辿ることもできる。