ゆっくりと、癒え

 以前から連れ合いが行きたがっていた、広島平和記念資料館に行った。地下に展示してあった、ワイシャツをほどいて燃えかすの墨で書いたという「復興」の幟が、胸にしみた。広島では、町が焦土と化した二日目から、銀行も営業を開始したという。通帳などがなくてもお金を出せるようにしたと。
 また、自身も頭に包帯を巻いた警察官が、並ぶ人々に罹災証明書を発行している写真、またその証明書もあった。地獄のような光景のなかでも、無政府状態とはならなかった。人々は徹底的に打ちのめされ、地へと這い蹲らされたのに、それでも、ゆっくりと頭をあげたのだ。
 「あの苦しみを持たないわれわれの変革」と高村光太郎も詠ったように(「報告(智恵子に)」)、日本人の革命力の無さ、大人しさを多くの知識人が批判してきたことだろう。たしかに日本人は革命はできないのかもしれない。しかしその代わり、革命にはできない、何かゆっくりとした積み重ねを、日本人はすることができるのかもしれない。