自然と不自然

 心がどうにも騒がしくなり、『般若心経』を音読する。わたしはキリスト者だが、仏壇のある、盆には線香の香る、差し出したお菓子を坊さんが懐に入れて去る、そんな空気に育った。だから『正法眼蔵』にせよ『歎異抄』にせよ、宗教、教えというより、落ち着く空間のような場である。
 だからこそ逆に、キリストへの信仰は、自然にはいかない。どこまでも学び、対象とし、問い、求めねばならぬ。そうでないと、あっという間に道を誤り、遠のき、信仰とは真反対へと陥る。信仰は意識して吟味しなければならない。クリスチャンホームで育った人なら、事情はまた違っているだろう。