実り

 昨日の納骨式など思い起こす。「懐かしい家族と再会できるあの世」的天国像は、ロマン主義による19世紀から20世紀初頭による価値観が大きく影響していると、学生時代だったか、誰か先生に習ったような気がする。ということは、それまでは天国や地獄のイメージはまったく今と違っていたわけだ。
 たしかに雨宮栄一『主を覚え、死を忘れるな』によると、たしかルター時代はあの世は「あの」世というよりは、今と連続した、すぐそこにある場所のような近さにあったという。贖宥状も、成立の動機はさておき、人々にとっては日本における施餓鬼供養や回向の意味を持ってはいただろう。死は日常にあったのだ。
 カルヴァンの『プシコマニキア』で反論される「眠らせ屋」、すなわち死んだ後に人は復活の日までずっと眠っている、というような発想は、近現代の死生観にとっては違和感もないが、若きカルヴァンには我慢ならなかったのだろう。主の御許にあることは「あの」世などではないのだと。すぐ近くなんだと。
 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110425/ent11042517120036-n1.htm
 死の苦痛は、死そのものへの不安もあるが、社会的な死(自分は何の役にも立たない/迷惑ばかりかけている、等)や霊的な死(自分の人生/これまでの苦労に、何の意味があったというのか、等)への苦しみもあるという。田中好子さんはキューブラーロスが語る「受容」の段階におられたのか。
 彼女自身が問い、答えた、彼女自身の社会的霊的な問いへの答えが“私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の勤めと思っています。”という一言に凝縮されている。
 自己の生の役割や意味を、今の時点の生だけで完結しきれないとき、それらの問いを、今の生を超えた場へと持ち越す。彼女は芸能人という特別な人かもしれないが、彼女の結論はきわめて自然な、しかも自己の体験に根ざした言葉であると思う。