思い、描く

 ドストエフスキー『悪霊』を、亀山郁夫訳で読んでいる。知人など昔からのドストエフスキーファンは江川卓訳がよいという。亀山訳には品がない、と。ふと聖書の新共同訳への批判を思い出す。出たての頃は、多くの人が「口語訳に比べて品がない」的なアレルギーを示したそうだ。
 しかしわたしは、たとえば新共同訳聖書の使徒言行録などは大好きである。パウロが漫画のキャラクターのように身近に、いきいきと感じる台詞回しに訳しこんである。あれは亀山郁夫ドストエフスキーの翻訳にも通じる。軽いのかもしれない、品がないのかもしれないが、近さ親しさを感じる訳。
 自分は『地下室の手記』と『罪と罰』は、江川卓かどうか分からないが新潮文庫の古い訳で読んだ。品があったかどうか忘れたが、しっかり、かっちりした美しい訳だったとは思う。だが『カラマーゾフの兄弟』を亀山訳で読んで仰天。ドストエフスキーってなんて面白いねん!と。
 今、標準訳聖書?だったか、5年後くらいの発刊を目指して翻訳が進行中だと聞いたことがある。ちょうどその頃、新共同訳聖書が30周年を迎えるかららしい。いろいろな意見もあるだろうけれど、古典がつねに新しい息吹を与えられる営みそれ自体はよいことだと思う。
 井上直の絵画展が大阪のぞみ教会で7日まで開かれている。絵はきちんと値札がつけられ、また売れてしまった絵を別の人が気に入った場合、同じモティーフで制作依頼できる。29歳、新進気鋭のキリスト教画家。
 教会で絵の売買をすることに抵抗を感じる人もあるだろう。しかしこうした取り組みが若い画家を育て、キリスト教芸術の底上げをすることは間違いない。井上は、鴨居玲から激しく霊感を受けたという。その活躍を期待したい。
 連れ合いがそのなかの一枚に惚れ込んでしまった。清水の舞台から飛び降りる覚悟で売約。