浪漫の続き

 母校の講義を受けに来て、学内のファストフード店でサンドを頬張ることに集中。不意に教会史の教授から「やあどうも」と声をかけられ、反射的に「やあどうも」と友達然と返してしまった。
 臨床牧会学の講義は今日も面白かった。死を起点に自分の問題や弱さを見つめる作業はしんどいが、そこからしか見えないものもある。先生の質問はそこらへんにずばり斬り込んでくるのだが、このスリルこそがこの学の本質なのだろう。多少辛くても、自己の弱さ醜さに徹底的に焦点を当ててゆきたい。
 NHK歴史秘話ヒストリア』で竹久夢二を観た。彼の生涯や、晩年の作品は知らなかったので、勉強になった。和装のユダヤ人?女性の美しい、突き刺さってくるような蒼い眼。
 ドイツ滞在の夢二が、「猶太人の国が建てられるのを観たい」旨書き残していたのが印象的。また、ヒトラーの戯画的な似顔絵も。
 夢二にせよ華宵にせよ、浪漫で終わらない、浪漫の「後」ともいうべき後半生がある。人間は浪漫だけでは生きられないということを、彼ら浪漫主義的人間が一番よく了解したようにも思われる。頭から「それは浪漫主義に過ぎぬ」と決めつける人は、人間が浪漫だけでは生きられないことも分からないだろう。