感謝することを学ぶ

 わたしの受けた教育と、私立で育った人との違いもあるだろう。中学、高校と、思想信条の自由はなかった。「お前はキリシタンだから弱い」と言われたものだったし。先生たちは皆厳格だった。団体行動の規律を乱すことは許されない。橋本知事も、そういう教育を受けた一人なのかもしれない。わたしの身体に染み付いた奴隷根性。
 そういえば前任地で教会学校に来ている子の卒業式に、なぜか出席できる機会があった。「国旗に、礼!」と号令がかかったとき、反射的にお辞儀をしていた。ところが、教会員である母親をちらりと見ると、毅然と国旗を睨み付けていた。そうか、これこそが信仰を貫くことか、と痛感させられたものだった。
 また、卒業生たちがメッセージを記念に書き記していた。誰もが自分の夢を書いていた。また校長先生の式辞も「自分の夢を追いかけ実現して下さい」という主旨だった。ところが、その子の書いたメッセージはたった一言「感謝」。感謝などという語を書いた子どもは、他に誰もいなかった。これが教会で育つということなのかと感心したものだ。