綺麗事

次の任地までのあいだ、レコードは段ボール9箱に収まったまま、眠り続けるわけだが。反らなきゃいいがなあ・・・・・
コロンボよさようなら
今日も炎天下を散歩。明日は歩くのはやめとこう。早く運転記録証明書が届いて、アルバイトを始めたい。何もしないでいるのは、もう沢山だ。
明日のこと、将来の見通しが全く立たない人は、今の日本には当たり前のように居るのだろう。わたしも牧師復帰への見通しが全く立たないという意味ではその一人なのだ。ただ、「生活を安定させたいから復帰したいのか?」との自問に悩まされてもいる。こういう局面で本音がでるのだ。
本音が曝け出され、綺麗事は剥ぎ取られる。しかし、宗教に携わる者が、綺麗事へのこだわりを「そんなこと言ってられるか」と捨て去るなら、宗教は仕事にすべきではないだろう。