誰に見つけられるか

 眠る連れ合いを残して、一人教会へ。まだ会堂は閑散としている。聖歌隊の練習が聞こえる。これから引越して教会から遠くなり、アルバイトも始めれば、日曜日わたしだけで教会へ通えるのか不安でもある。今日の聖書はルカ15:8-10。そうだ、きっと連れ合いもわたしも、見つけられ喜ばれているはずだ。
 夕飯の買い物に行ったら、幸福の科学の勧誘を拡声器やビラでやっていた。「大川隆法総裁の聖誕55周年を共にお祝いしましょう」というのが、どこか可笑しかった。キリスト教徒でない人からすればキリスト生誕2011年など、同じくどうでもよいのだろう。教祖も気苦労が多かろうと、余計な心配をする。