変化球はキャッチボールあってのこと

ゲスト説教者を一年近くさせていただき改めて思うのは、牧会とは毎週同じであることの陳腐さ退屈さを、逆に継続する牧会の厚みとして活かすことだ、ということ。今やっていることは自分に厳しく言うなら信徒の気分転換、たまには違う牧師もまあいいもんだ、という程度のことだ。