道のり

 “つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。”フィリピ1:29この一言を発するまでにパウロが辿った道のりを想う。その歩みがあったからこそ、彼は2:6-7や2:12を、自分の体験として語った。
 カルヴァンを読んで感じたのも、たぶんそれだ。わたしは彼の生涯をよく知らないが、こんな自分が選ばれてしまったではないか。それなら、その呼びかけに応えて精一杯証ししよう…そんな思いが「綱要」からも伝わったものだ。
 “わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。”フィリピ3:10-11
 “兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、…”フィリピ3:13 忘れたくても忘れられない罪や恥、痛み悲しみ。それを徹底的に見つめた上で、だからこそパウロはキリストにおいてのみこのように語るのだ。