個人と社会と

 和辻の『倫理学』を読んでいるが、たしか最初の方は戦前の出版だったはずだが、よくこんなもの出せたなとも思う。個人と社会(全体)との相互の関係。相互の関係である。ナショナリズムのような、個が全体に没入するのと違う。
 たしかに個人と社会とは自由な相互性ではない。デュルケムが参照されるように、社会が個人を制限する、禁止することが語られてはいる。無限に自由な個人など語られてはいない。それでもそれはあの時代のナショナリズムとは無縁に思われる。
 ただ、個人と社会との相互関係、つまり個人の否定としての全体、全体の否定としての個人、空の否定としての個人や社会といった弁証法からどうやって「絶対的否定性」や「絶対者」といった宗教的趣きが登場するのかが、いくら頁を読み返してもよく分からない。やはりヘーゲルか。
 あるいはわたしはドラマの見過ぎなのかもしれない。なにも日本人全員、一人残らず「大日本帝国万歳!天皇陛下万歳!」と絶叫していたわけではないだろうし。むかしNHKで2・26事件に関して軍部が将校の電話を盗聴した録音を放送したことがあった。電話での軍人は「やあ、元気ですか」みたいな、今わたしが電話で交わすのと変わらない、リラックスした口調だった。ドラマに出てくる「きさま!」とか「であります!」で電話しているのではない。そのことにびっくりしたものだが、考えてみれば当たり前なのだ。みんなが絶叫するのは解釈でありドラマだ。
 とはいえ、一部であれ絶叫はたしかに存在した。そして絶叫は倫理もなにも吹き飛ばし、日本を戦争へとばく進させたのだ。