なぜ、「今」響くのか

“〈むかし〉には、〈いにしへ(往にし方)〉─〈行く先〉(〈先行き〉)、〈来し方〉─〈行く末〉というペアに対応してそれと対をなすような未来に関する表現ないし語は存在しない。(中略)〈むかし〉に対立すべき、また現にしばしば対立して使われもする表現は、たとえば〈むかしといま〉という言い方からもあきらかなように、むしろ〈いま〉である。”坂部恵『かたり─物語の文法』、ちくま学芸文庫、59頁。
 まさに膝を打つ表現ではないか。だから、聖書を読むというか、聖書の語りを聴くとき、それは西暦何年のどこそこで起きました的なデータや、これから○○に備えましょう的な未来への実用としてではなくて、聴いているわたしの「今」へと深く食い込んで来るのだな。