赦されて浮き彫りになるもの

微熱も下がらず扁桃腺は魚の骨でも刺さっているかのよう。唾を嚥下するのも辛い。勇気を振り絞って課長代理席に電話。明日もお休みを頂いた。叱責ではなく優しい労りの言葉をかけて頂いたことで、むしろ迷惑をおかけしている事実への申し訳なさ、恥ずかしさがこみ上げる。
これは飛躍かもしれないが、キリストに赦されるより罰せられたい、という心理は分かる気がする。優しく赦されることは、自分の赦された罪を直視することでもあるからだ。神の愛の前に罪を知る恥ずかしさのなかで、「いっそ滅ぼして下さい、わたしなど」というようなプロセスも祈りとしてあるのだろう。