あらためて

ある人が、企業が誰を採用するのかは予め決まっていて、その「予定」の確信を得るのが就職活動なのだと、就活の不安について、予定説の不安を上手に用いた比喩を語っていた。そういえば美学者の宮川淳が、ポロックのアクションペインティングに、カルヴァン派の予定説的敬虔さを比喩として用いていたのを思い出した。分からない未来が、でも決まっているに違いないと思って、それを知りたい、確かめたいと必死で頑張りぬく姿勢が、カルヴァン的だという比喩となるんだろうか。
それにしても、カルヴァンも、いろいろ考え抜いたなかの、ほんの一言である「予定」が、まさかそれだけが、ここまで後代の人々に食いつかれリツイートされてしまうとは思いもよらなかったろう。あの世で「アウグスティヌスだって言ってたじゃん!なんでおればっかり」などと弁解してるかもしれない。
“雪降ってるからアンビエント聴きまくるスレ - はれぞう” http://blog.livedoor.jp/darkm/archives/51323320.html いいなあ。じつにいい。美術館行きたい。
musiccloudとか上記のスレとか、ネット上でいくらでも音楽が聴けてしまう。こういう状況だからこそ、物体としてのCDとかアナログレコードとかを「持つ」ということは、より意識的な行為になるんだろうな。なんとなく「いいな」とはみなされていたが、放っておけば捨てられていく道具が柳宗悦によってあらためて「民藝」と対象化されたように。
紙書物としてのジャケットのデザインや解説、歌詞カード。CDやビニル盤のレーベルのインパクト。そして、ネットで単発で聴くのとは違う、曲順が決められ並べられたアルバム。ブログテクストに対する紙書物のように、空間的時間的に切り取られ限定され際立って対象化された商品。