語りえぬことを語る

岩波文庫版の和辻哲郎倫理学(三)』を読了。とはいってもまだ熊野純彦による解説が80頁ほどあるが。(一)〜(四)の熊野の解説をあわせると、それだけで立派な本になるほど充実した内容。
(三)の後半はひたすら風土について。環境が人間たちの生活に影響を与え、そして人間たちの生活や歴史が環境を風景として形作る。しかもそれは人間たちでありつつ、漠然とした集団などではなくして、一人ひとりの具体的な営みである。そういうことを、世界中を例示しつつ語る。
和辻は生涯に一度ドイツに留学したのと、中国に出張した以外は、海外に行ったことがないという。しかし「見てきたかのように」インドやアメリカ、ロシアなどについても風土そして人間を語る。それは見方によっては僭越でもあろう。本で読んだ知識とロマンチックな想像の飛躍だけで語るのかと。
しかし海外どころか北海道にも沖縄にも行ったことのないわたしには、心強い可能性を感じさせてくれる。ましてや被災地に足を運んだことのない身としては。たしかに、「行ってもいないのに」語るというのは、よほどの責任の意識がない限りは僭越に終わるだろう。
とはいえ「語りえぬことは沈黙せねばならぬ」を言い訳にしていては、それこそ責任逃れだろう。語りえないようなこと、直接体験していないこと、それでも、感じること考えることがある。よく言葉を選んで、誠実に、しかしほとばしる思いは忘れずに。つねに宛先にいるあの人、この人の顔へと。