頑固さと謙虚さ

ある方との対話のなかで、気付かされたこと。神の視座から「それは人間的なことに過ぎない」と、他人の心配や狼狽、その背後にある苦悩や痛みを見下してはならない。なぜなら自分も人間であり、自分だけがその外側にいることはあり得ない。自分は相手の持っていない恩寵に与っているというエリート意識/ルサンチマンの危険。
しかしまた同時に、「どれでも同じ、わたしもたまたまクリスチャンなだけ」という、相手への配慮の極端に走ってもいけない。どれでも同じ、たまたまだと思うなら、別にイエスをキリストと賛美し、その御前に跪く必要もない。排他的なほどに、自分はキリストと出会ったのだという確信が与えられていること。その体験を感謝すること。そしてそれを他人と分かち合いたいと願うこと。
それは自分の愛する音楽に対する態度と近いかもしれない。この音楽/ミュージシャンに生かされ、変えられた。他の音楽ではなかった。しかしまた同時に、自分がまったく興味のない音楽に、自分ではない誰かが出会い、やはりその音楽に変えられ支えられているであろうこと。
自分とは違うことに確信を置いている人がいるだろうという想像力と、それでも自分の信じていることには普遍性もあり、人と分かち合わずにはいられない、伝えずにはいられないという衝動と。「他人は他人」と、「いや、あの人にも」という、その緊張感のなかで、わたしは信仰に与る。