周期

小氷期 - Wikipedia
この時期、ヨーロッパなどで寒冷化が起こり、農作物への被害や大雪の問題などが顕在化したらしい。プロテスタントが生じた時代も含まれている。ウィキペディアに例示されるブリューゲルの絵のような大雪を、ルターも踏み分けたのか。
食べ物が不足し、信じられないような異常気象が起こり、それまで住んでいた場所が壊滅して住むことができなくなり、疫病が発生し、村単位での大規模な避難や、それにともなう共同体同士の衝突も避けられなくなり・・・・そのような時代は、何百年もかけてゆっくりと積み重ねた価値観が覆されるのにふさわしかったのだろう。
なんでそんなことを思い出したのかというと、上司から「二冊あるからあげる」と頂いた波木居齊二編訳『カルヴァン小論集』(岩波文庫)を読んでいたからだ。カルヴァンの人間理解の持つ独特の暗いトーン。もちろん教義学的な意味での「罪」というものでもあろうが、ばたばた人が倒れ、死んでいった時代をも表しているように思われる。飢死、凍死、病死、衰弱死、戦死、虐殺死、このあいだまで元気だった知人が、急に病を得て死去・・・・・死が日常的にあって、たぶん道端で腐敗しつつあるような遺体も見かけるような生活。日本でも鎌倉時代の戦乱期にこそ仏教の大きな変革があったし、無常観なる価値観も強まっていったと聞いたことがある。そういうふうに思って読めば、カルヴァン=予定説の冷たい男というように、人間に対して冷徹で悲観的、冷笑的ですらあるというような、彼個人の性格の問題としては読めなくなる。
マクグラスが『プロテスタント思想文化史』の冒頭で、プロテスタントの大きな問題であり可能性であるテーマを語る。すなわち誰でも聖書を直接自分で読むことができるようになり、信仰の権威が各自の理解の多様さに移譲され、その結果権威そのものが解体され始めたと。当時としては神罰としか思えないような異常気象のなか、社会の衰弱や人々の死に無力だった制度的教会に見切りをつけ、聖書を直接自分で読むことに目覚めて行った司祭や知識人が現れたのだろうか。
それにしても、文庫に掲載されている「聖晩餐について」の冒頭“我々の主イエスの聖晩餐の聖なる秘蹟は長いあいだにいくつかの大きな誤謬のために紛糾し、この数年ふたたび種々の意見また論争に包まれている。したがって多くの弱い良心はそれについてどのように考えたらよいのか、それについて解決をすることができないでいてもふしぎでない。神のしもべたちがそれについてすべての論争を中止し、なんらかの一致に到達するまでは、疑惑はそのままで途方に暮れているありさまである。”という一言には、苦笑せざるを得ない生々しさがある・・・・