おまえら

通り魔事件が起こるたびに、一宗教者として、人間の倫理とは何かを考え続けてきた。しかし今回の心斎橋の事件が再び起こるにおよび、なんだろう、言いようのない、途方もない徒労感に襲われる。いくら考えてもだめなものはだめなんじゃないか、という、思考放棄の誘惑に押し流されそうになっている。
被害者の男性の方のツイッターを見ることができた。当たり前だが、直前までふつうのいきいきとした仕事の様子が書きこまれている。それはすべての事件や事故で突然亡くなる人に通じる悲惨さではある。しかしこの人は他の誰でもないこの人であり「こういうケースは」云々と一般化も普遍化もできはしない。
無職で30代というと、おととし去年の自分のことが、悪夢のように蘇る。昨日も嫌な夢を見た。郵便配達しながら「おまえらおぼえとけよ」と、ほとんど意味不明な呪詛を繰り返していた。「おまえら」って誰?「おぼえとけよ」って何を?そういう冷静な問いは、今だからできる。当時にはできない。
そういう「おまえら」的思考、あらゆる人間を「おまえら」化する発想がどこかで飛躍し、理性を凌駕し、誰かを殺害しようという肉体の動きに至る(もはや「思考」ではない)。ルサンチマンの極北。