比較できないがゆえに

録画しておいた「梅ちゃん先生」を、月曜から木曜の分まで観た。末期の肝臓癌の隠退船員と、その娘のモティーフ。父の溺愛する娘に婚約者が出来る。だが婚約者はひょんなことで、船員が戦時中戦争物資を輸送し、戦争協力をしたことを責め始め、父親と激論になり、決裂する。娘は父のもとを去る。
NHKも、一エピソードに過ぎないとはいえ、ある意味タブーの領域に踏み込んだと思う。戦争の歴史を振り返る時、必ず加害者と被害者がいるが、加害者も同時に被害者でもあり、また、そもそも「加害か受難か」というような選択肢さえあり得なかったことさえ多かったはずである。その、実に微妙で、できれば避けて通りたい、敢えて論じれば必ず被虐史観か否かという踏み絵のように不毛な循環論に陥ってしまう、ときには今回のドラマそのままに論じる相手と人間関係が決裂してしまうこのテーマを、ほんの一エピソードとはいえ、萌芽的に切り取ったことは評価したい。
わたしの母方の祖父も、戦前は輸送船の船員だった。魚雷にやられて、沈没しゆく船から命からがら逃げたことも、数度あったという。祖父はよくロシア人を「露助」と呼んだり、「毛唐」と呼んだりしていた。受けていた教育がまったく違う。たとえば祖父が今でも90歳以上で生きているとして、その祖父に「あなたは戦争に加担したのです。また、あなたは外国人を差別してばかりいます」と問いを投げかけることができるか。それは問いをなげかけるというより、問いを叩きつけるような感じになってしまう。
しかしまた一方で、日本が東南アジアや中国や朝鮮半島を侵略したのも事実である。そこであらためて思う。それぞれの事実は、それぞれの事実としてあり、量的にも質的にも比較することは不可能だと。たとえば「われわれも被害を受けたのだから、相手の被害だけを補償するのはおかしい」というときに、「われわれの痛み」と「彼らの痛み」とを、素朴に比較の地平に並べている。われわれも痛かった。痛いどころではなかった。そしてまた、彼らも痛かった。のたうちまわる痛みだったと。その「われわれの痛み」と「彼らの痛み」はどちらが大きいかとか、どちらが上かとか、そのような比較のすべてを拒むのだ。
あなたの痛みと、わたしの痛みと、どちらが痛いか、診断結果だけでは比較できないように。