イエスの思い出

ヒレベークスの『イエス (第一巻)』を読んでいると、“イエスの思い出”という言葉が頻繁に出てくる。つまり、聖書学において、直接イエス自身の発言に帰することが出来ない語録や記事まとまりであっても、それは生前のイエスへの思い出の鮮やかな印象によって育まれたものであると。
もちろん彼は聖書学の成果を無視せず、加筆や編集は事実として受け入れている。だから“イエスの思い出”概念についても、なんでもかんでもそれを当てはめるわけではない。しかし聖書学の成果と、彼自身の洞察とから、明らかにイエスの思い出が偲ばれる場面について、そのように主張しているのである。
イエス・キリストの復活後に書かれた福音書であるから、十字架─復活のキリスト論が縦横に浸透していることも、スヒレベークスは十分に認める。その上でなお、すべてをキリスト論だけに収斂させず、出遭った人に深い印象を遺していったであろう、十字架─復活前のイエスの思い出を探る。イエスは空想でも象徴でもなく、歴史上のある時点に、確かに生きていたということである。共感するものがある。こういう一言を言うだけで「キリスト論を否定する」との誤解を受けそうであるが、そうではない。(いずれ再臨するにせよ、今も聖霊体験として臨在するにせよ)かつて一緒に食事をして、今はいない愛する人への思い出が、神話ではない歴史的事実としてそこここに滲んでいることの指摘に共感するのである。
昨日、教育テレビの『日本人は何を考えてきたのか』で柳田国男をやっていた。彼が明治の大津波被害の被災地を取材した道を、今、東日本大震災後に再び辿るというもの。そのなかで、いつ頃からか誰ともなく設置し、人々によって今なお形成されつつある祭壇を映していた。そこにやってきた遺族が、ペットボトルの飲料を開封して少し飲み、再び蓋を閉めて、残りを祭壇へ差し出して帰ってゆく場面。
自分の飲食が、故人の飲食と共にあることを確認する行為。故人を偲び、その故人が、いない、しかしどこかに(今ここに)いる、そう確信している行為だった。番組中ではそれを「死者との和解」というテーマで取り扱っていた。
今はいない、しかし愛している人の思い出を鮮やかに思い起こし、象徴行為として飲食をその「不在の人」と共にし、不在の人から託された命を新たに生き直そうとする姿勢。ここに、スヒレベークス語るところのイエスの思い出、イエス昇天後の原始キリスト教団が開始したばかりの礼拝を重ね見る思いであった*1
繰り返しになるが、こうしたことを思うのも、“イエスの思い出”という使徒たちの持っていた記憶の複雑な諸側面の、ほんの一部であっても鮮やかに追体験したいということであって、復活を象徴化ないし否定するといった意味合いや、聖餐の意味を曖昧にするというような意図はない。

*1:エスの思い出が具体的な復活の喜びと共にあったのに対して、今の被災者の方々のお気持ちは想像を絶する痛みと共にあるという相違を、ないがしろにする意図はまったくない。