どんな背景から出た言葉なのか

ペリカンの、アウグスティヌスと後継者たちによるドナトゥス主義論争およびペラギウス主義論争のところを読んだ。相変わらず非常に難しい。最初は素朴な疑問みたいなことから始まるのだが、どんどん議論が複雑になって、やがてついてゆけなくなるという、いつものパターン。
ドナトゥスに対する論争は、まだ理解しやすかった。迫害に負けて信仰を捨ててしまった司祭などからかつて洗礼を受けていた場合、その洗礼は有効か。また、信仰を一度捨てた人が教会に帰ってくることは赦されるか。アウグスティヌスは洗礼は有効、帰ってくることもできると主張。今現在の教会が信仰的道徳的に完全であるかどうかよりも、完全を求めて教会が分裂してしまうことのほうが罪深いと。何よりも公同的教会の一致が大切であると。しかしドナトゥス論争が落ち着いた後に起こったペラギウス論争は、簡単には理解も解決もできない。救われる人間は自分の意志によって救われるのか、神の恵み「のみ」に拠ってなのか、の問題だからだ。
ペリカン自身が執拗に、かなり長い頁を割いて、アウグスティヌスの予定説の問題点を指摘している。このことから、著者である彼自身の予定説への疑問もはっきりと見えてくる。彼が後に正教会へと改宗した遠い原因も、このあたりにあったのではないか。東方の神学は、救いにおける人間の神化を肯定する点において、アウグスティヌス的な「暗さ」からまったく自由だから。
たぶんアウグスティヌスは、マニ教や新プラトン主義の影響もさることながら、なにより自分の回心の体験を語るのに、神の一方的な恵みを強調したかったのだろうと思う。すると、自分の(神に逆らおうとする頑なな)意志と無関係な、客観的な恵みを語ることになる。それを「予定」と言ってしまった時点で、「救われるか滅びるか最初から決まってるんなら、回心もへちまもないじゃないか」という、当然の反論を招いてしまうのだ。後代のカルヴァンにしても、その点についての論争ばかりがクローズアップされてしまい、本人としては不本意だったのではないか。