裏切りの自覚

橋本祐樹牧師による終戦記念日の講演「ボンヘッファーにおけるキリストとこの世 〜現代の状況の中で読む〜」を聴いた。ボンヘッファーについては、翻訳されているいくつかの著作を読んではいた。しかしそれらを系統立てて、ドイツの背景のなかで、非常に分かりやすく学び直す機会が与えられた。
また、国家社会主義ドイツ労働者党が、どのような政権公約をもって民意をわしづかみにしていったのかの説明が、非常に興味深い学びとなった。今日の講演で学んだ限りでは、国民の生活を第一にすること(!!)、集中する富の貧困層への分散、高齢者への福祉など、大恐慌のドイツにあって、魅力的な政策を主張。
さらに、敗戦と巨額の賠償で傷ついたドイツ人のプライドをくすぐり、そっとすりよるアーリア主義。血と大地のロマン主義に、閉塞する人々は「脱出口」を求めたことだろう。
ボンヘッファーがその当初からこれらのロマンに対して徹底して「覚めて」いたことは、あらためて驚きを禁じ得ない。自分自身がどのように国家に対して覚めて、隣人に対して熱くなれるのかを、橋本牧師の講演をとおしてあらためて問いかけられた気がした。
ボンヘッファーは、裏切り者になるまいとして生きたのではなかっただろう。彼はおそらく、裏切り者であることの自覚のもとに生き抜いた。