重層的な受容

ヒレベーク著『イエス 一人の生ける者の物語 (第二巻)』を読み始める。全巻で言及されていた、ギリシャ語を話すユダヤ人。申命記歴史観。すなわち、十戒が神から与えられた本来の戒めであり、その他の詳細な律法は人間が現実に妥協した結果生じた、堕落の象徴であると(エゼキエル20:25)。
アンティオコス四世を支持するユダヤ人。アンティオコスもまた、十戒以外の律法を廃止した。一方でアラム語を話すユダヤ人はこれに激しく対立。ということは、聖書に出てくるファリサイ派というのは後者のことだろうか。いずれにせよ「ユダヤ人」などと一口では到底言い表せない。
“新約においてわれわれは、キリスト教以前のギリシアユダヤの伝承が、キリスト教徒によってヘレニズム・ユダヤ教から採択されたという事態に直面する。これは何よりも『マコ』一〇から明らかである。そこではこの一般的見解が離縁状に適用されている。従ってイエスの時代のパレスチナにおいては、律法に関して二つの根本的に異なる解釈があったことを念頭におくべきである。正統ユダヤ教からはずれる解釈は、主としてギリシャ語を話すユダヤ人に好まれたので、・・・(略)勿論これらのディアスポラユダヤ人の見解は、それがアンティオコス四世の法律と似ているので、他のユダヤ人から厳しく拒否された。”(同書、8−9頁。)