補足

“すなわち、彼(レヴィナス)によるとギリシア以来、中世を通じ、デカルト、カント、ヘーゲルハイデガーを支配してきたロゴス(理性)は、万有の理性的理解を求め続けてきた。その際、理解とは、仏語comprendre(com- 一緒に+ prendre 採る ⇒ 一処に採り集める)が示すように、自分を中心にして自分のまわりに概念や知識つまり普遍的必然的なものとして万有を集めることに外ならない。それは言いかえれば、唯一回的で固有な仕方で、あるいは偶然的に存在しているものから、その色や香り、唯一回性、個性をはぎ取って、普遍者一般者として集めることなのである。それをさらに言いかえれば、このような必然者・普遍者として理性と相関的になるものだけが、存在を認められ、そうでない者は「非存在・他者」として非認されることに外ならない。”(訳者・宮本久雄によるE・スヒレベーク『イエス 一人の生ける者の物語 (第二巻)』「まえがき」より)