殻のなかの平安

録画しておいた「わたしは貝になりたい」を観た。貝という一言、あらゆる積極性や可能性への疲れ、断念、絶望。貝になりたいと願わざるを得ない人間を思い、泣いた。不条理の極みのなか、貝になりたい人間は、たぶん今もいる。
「わたしは貝になりたい」、深海の、誰とも何の関わりもない、ほぼ無音(のイメージ)の、他の貝との関わりもない、そういうものになりたいという表現。見事としか言いようがない。しかも貝は殻があるわけで。ところでウィキペディアで調べたらフィクションだった。てっきり実話かと。